「北条義時=黒幕」はあまりにご都合主義

では、それが「鎌倉殿の13人」ではどう描かれていただろうか。第44話で、公暁は三浦義村に、実朝の右大臣拝賀の儀式の際に「実朝を打つ」と相談し、義村はそれへの協力を申し出ている。さらには、そのことが北条義時にバレて、義時は実朝に式典の取りやめを打診する。

高野山・龍光院所蔵「承久記絵巻」巻第2より北条義時部分
高野山・龍光院所蔵「承久記絵巻」巻第2より北条義時部分(図版=wilkinson777/PD-Japan/Wikimedia Commons

ところが、そこで先に記した「いずれ京に行く」という発言が実朝の口から飛び出したので、義時は公暁がクーデターを起こすと承知のうえで、あえて式典を強行し、実朝が殺されるように仕向ける――。そう描いて、義時に「そんな人(実朝)に鎌倉殿を続けさせるわけにはいかん、断じて」と言わせるのである。

一方、実朝も公暁が自分を狙っていることを知らされてしまい、それを機に、兄の頼家が北条に殺されたと初めて知って、「公暁が自分を恨むのは当然」と思って公暁に謝りに行き、公暁の前で土下座までするのだ。

実朝はこうして北条への恨みを募らせ、それを知った義時は「黒幕」の義村に「鎌倉殿は私に憤っておられる。公暁が討ち損じたら私は終わりだ」と伝える。

要するに、義村も義時もみんな黒幕で、周囲がみな公暁の謀反を事前に知っていながら、あえてだれも止めず、予定通りに実朝は殺される――。

さらにいえば、公暁に土下座までした実朝は、公暁への同情からだろう。襲われてもあえて抵抗せず、短剣をわざと地面に落とし、率先して殺されるのである。

これも新解釈ということなのか。しかし、韓国ドラマによくあるようなご都合主義の連続を、歴史ドラマで描いていいものだろうか。

主人公の義時を買いかぶりすぎている

実朝の暗殺後、義時の嫡男である泰時は父に向かって「すべてあなたの思い通りになった。私がそれを止めてみせる。あなたの思い通りにはさせない」と言っている。

しかし、そもそも実朝が殺されたことは、史実に照らすなら、義時の「思い通り」だったとは考えられない。なんでもかんでも義時の思い通りになるという設定で、彼が主人公だから、ある程度は買いかぶるのも仕方ないにせよ、少々度がすぎてはいないか。