NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の最終回が近づいている。歴史評論家の香原斗志さんは「歴史ドラマであるため、一定の脚色は必要悪だとしても、史実とされていることまで捻じ曲げるのは、歴史への誤解を広げることになるのではないか」という――。
永井如雲編『国文学名家肖像集』より源実朝像
永井如雲編『国文学名家肖像集』より源実朝像(図版=Hannah/PD-Japan/Wikimedia Commons

見せ場が増えるほど違和感も増えていく「鎌倉殿の13人」

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も、いよいよ終幕が近づき、クライマックスの承久の乱に向けて見せ場が続いている。しかし、見せ場が増えるほど、違和感を覚える回数が増えているのも間違いない。

私は基本的には、大河ドラマに史実を期待しても仕方ないと考えている。NHKはそうはハッキリと言わないが、大河ドラマはフィクションだからである。一定程度の史実を踏まえた歴史ドラマではあっても、あくまでも史実を題材に、現代人が感情移入できる人間ドラマを描き、視聴者に楽しんでもらうためのものだ。

昔から洋の東西を問わず、演劇も、歌舞伎も、オペラも歴史に題材を求め、それを脚色してドラマを描き、人々の娯楽に供してきた。実際、裏づけのある史実はかぎられているのだし、わかっていることを基に、多かれ少なかれ脚色しなければ、鑑賞に資する作品にはならない。

だが、そうは言っても――と反論したくなるのはわかる。いまは昔と違って、曖昧だった伝承と史実が切り離され、史料の裏づけがあって史実と呼べるものが存在する。また、史実と断定はできないまでも、周辺の史実から「こうに違いない」と類推できることもある。

大河ドラマが視聴者のあいだで「歴史ドラマ」と認識されていることは否定できない。そうである以上は、一定の脚色は必要悪だとしても、史実とされていることまで捻じ曲げるのは、行きすぎだといえるのではないだろうか。

「鎌倉殿の13人」では、とくに3代将軍実朝が登場した頃から、「捻じ曲げ」と呼べるような「脚色」が鼻につくのである。

「実朝が愛したのは男性」への心配

後鳥羽上皇の従妹が嫁いで12年経っても、実朝とのあいだに子供ができなかったことや、それでも実朝が側室を持たなかったことは史実である。側室を拒んだのは後鳥羽上皇に遠慮したからだ、という説がある。ところが、「鎌倉殿の13人」では、実朝を北条泰時に恋する男性として描いた。

そうした性向でなかったことを証明する史料がない以上、新解釈といって言えないこともないのかもしれないが、こうもハッキリ描かれると、実朝のイメージがそこに固定しないかと心配になる。

さらにどうかと感じたのは、実朝の「京都かぶれ」である。