一流の「言葉づかい」とはどんなものか。コミュニケーション講師の桑野麻衣さんは「『親しみやすさ=言葉を崩す』と勘違いしている人が多い。最近の学生や新入社員は『敬語を使えない大人』に強い嫌悪感をもっている。態度や話題は崩しても、言葉づかいを崩してはいけない」という――。(第2回)
※本稿は、桑野麻衣『「また会いたい!」と言われる 一流の話し方』(明日香出版社)の一部を再編集したものです。
「敬語を使えない大人」は嫌悪されている
一流の話し方を語る上で、「言葉づかい」の話題は外せません。
「型があるから型破り。型がなければ、それは形無し」という言葉は聞いたことがあるでしょうか。亡くなられた歌舞伎役者の中村勘三郎さんの言葉として有名です。これは読んで字のごとく、「型があるからこそ型破りができるのであって、そもそも型がないのであればただの形無しにすぎない」という意味です。
言葉づかいに関しても同じことが言えます。言葉をしっかり学び、理解した上で意図的に崩している人は確かに「型破り」な存在になれます。しかし、言葉づかいや敬語そのものを軽視し、言葉が崩れてしまっているのは「形無し」にすぎません。言葉づかいを軽視している人は、「親しみやすさを表現する」=「言葉を崩す」という思い込みがあります。
親しみやすさよりも、「見下されている」「馬鹿にされている」と感じる人が多いことに気がつきません。いずれ自己流のコミュニケーションに限界が訪れ、ある時から人と信頼関係を築けていないことにようやく気がつくのです。実際に、最近の学生や新入社員と会話をしていると、「敬語を使えない大人」に対して強い嫌悪感があることがわかりました。
どの世代や立場の人からも信頼され、愛される一流の人たちは「言葉づかい」は崩しません。その人たちは、言葉づかいや敬語の持つ力をよく理解しています。言葉を崩すことを良しとする相手もいれば、良しとしない相手も多くいることを知っているのです。