我が子のことを、どれだけ理解しているか
ただ見るときのポイントを「我が子が服を脱ぎ散らかしてしまう」場面から考えてみましたが、あれこれ口を出さずにただ見ることの重要性は、なんとなく分かっていただけたのではないでしょうか。
できるかどうかは、もちろん別。焦らず、読み進めていってくださいね。読みながら日々実践することで、誰でも必ずできるようになります。
さて、「ただ見る」についてお話ししましたが、みなさん我が子のことをどれくらい理解できているでしょうか。
「私のお腹の中から生まれたんだから、なんでも分かります」という方もいるかもしれませんが、「毎日見てるけれど、理解できない行動をとるときもあるんですよね」「私の子だけれども、私と違いすぎて、分からなくなることがよくあります」という方も多いのではないでしょうか。
私もそうです。我が子のことを分かっているようで、やはり別の人間。ついつい、自分が子どもの頃と比較してしまいますが、同じようにはいかない。分からないことが多いものです。
無意識の「当たり前」が親と子を苦しめる
そもそもなぜ、自分の子どもの頃と比較してしまうのでしょう。
それは「我が子」だからです。
私は教師をしていますが、教師として接するクラスの子ども達は、冷静によさを見つけることができます。しかし、我が子になるとできなくなることがあります。
どうやら、無意識の中に、「自分の子だから、自分が子どもの頃にできたことはできる」と考えてしまっているようです。皆さんも同じではないでしょうか。
我が子ならできる。
つまりそれが、あなたにとっての無意識の「当たり前」になっています。この無意識の「当たり前」が、親も子も苦しめる原因です。
この「当たり前」があるからこそ、私達親は、よくない習慣を見つけたらすぐに叱ってしまうのです。子どもの言い分などをまったく聞かずに。
そんな「当たり前」の思い込みから抜け出すためには、「教える」でも「褒める」でも「叱る」でもなく、「ただ見る」ことに尽きます。
なぜなら、繰り返しになりますが、私達親は子どものことをよく見ているようで、実はよく見ていないからです。