習近平の「恩人」江沢民元総書記の死

習近平指導部が、コロナ拡大防止と抗議行動の沈静化という二正面作戦に直面する中、中国の経済成長と軍事力増強に邁進してきた元総書記、江沢民が逝去した。

ウラジーミル・プーチンと握手している江沢民(写真=Kremlin.ru/Roman Kubanskiy/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)
2002年12月2日、ウラジーミル・プーチンと握手している江沢民元総書記(写真=Kremlin.ru/Roman Kubanskiy/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

筆者は、1997年7月の香港返還式典、そして同年10月のアメリカ訪問の際、江沢民の演説を間近で取材したが、「一国二制度」の意義や「戦略的パートナーシップ」の重要性を堂々と語る姿に、「日本にとっては脅威になるカリスマ性と怖さを備えた人物」と感じたものだ。

江沢民はいわゆる上海閥で、胡錦濤や李克強らから成る団派、習近平ら中国共産党高級幹部の子弟らで構成される太子党とは一線を画してきた。それでも、総書記へと引き上げてもらった習近平にすれば無視できない存在で、1期目には最高指導部6人のうち実に4人を江沢民の派閥から起用せざるを得なかった。

ただ、習近平は、2012年、総書記に就任して以降、汚職摘発を大義名分に上海閥の面々を退け、江沢民の影響力をそぎ続けた。3期目の現在、最高指導部のメンバーで江沢民に近い人物は序列4位の王滬寧氏だけだ。

それでも、この時期に江沢民が亡くなった影響は大きい。

これまで以上の強権政治を進める環境が整った

1つは、江沢民と習近平の政治姿勢には、いくつかの共通点が存在するという点だ。

前述した経済成長と軍事力増強路線もそうだが、在任中、「平和統一」をうたいながら、台湾総統選挙をめぐり、台湾海峡にミサイルを発射したこと、香港とマカオを取り戻したこと、北京五輪の招致に成功したことなど、2人の強権政治は酷似している。

習近平にとって、中国共産党の中で最も煙たい重鎮であった人物がいなくなったことで、習近平は完全に権力を掌握し、2027年の4期目以降も視野に入れることができるようになった。そして、強権政治を誰はばかることなく前に進められるようになった。

「ゼロコロナ」政策で言えば、抗議行動に対して容赦なく封じ込めができる環境が、これまで以上に整ったことになる。

2つ目は、1989年の天安門事件が胡耀邦元総書記の追悼を契機に始まったという点だ。中国当局も「追悼」に集まる国民を封じ込めるわけにはいかず、今回も、江沢民の追悼に集まった人々が抗議行動をより大きなものに変えてしまう可能性があることだけは、注意して見ておく必要がある。