例えば、野菜やフルーツを栄養価、機能性などの数値で評価する「オーガニック・エコフェスタ」ではサツマイモ(2018)、ミニトマト(2020)、メロン(2021)で1位。サツマイモは「第1回 日本さつまいもサミット」(2020)でも「Farmers of the year」と「SATSUMAIMO of the year」の2冠に輝いた。

農園の敷地内にはカフェのほかに自家製バウムクーヘンの専門店「ファームクーヘン フカサク」もあり、そこで作っている完熟メロンのピューレを使ったオリジナルバウムクーヘンは、4年に1度開催される国内最大の菓子の祭典「全国菓子大博覧会」(2017)で、最高賞の名誉総裁賞を受賞。海外でも、数々の受賞歴を誇る。

深作さんによると、大学卒業後の2004年に就農してから18年間で、売り上げは約10倍に達したそうだ(金額は非公表)。

規格外の土づくり

こう書くと、やり手のビジネスパーソンのように感じるかもしれない。しかし、深作さんは「農業は嘘がない世界だから、基本に忠実に、誠実に農業と向き合ってきただけ」と語る。

実際、これまで彼が最も力を入れてきたのは、土づくりだ。その土は、規格外の力を持つ。

筆者撮影
約20ヘクタールの農地でサツマイモ、イチゴ、ミニトマト、メロンのほか、米、小松菜、ニンジンなどを栽培している。

メロンやイチゴの栽培では、地力の衰えや偏りを防ぐために、2、3年に一度は異なる種類の作物を栽培する輪作、もしくは休作するべきと言われている。

ところが深作農園ではメロンは60年、イチゴは40年、同じ農地で作り続けている。その土で育ったメロン、イチゴの味や栄養が評価されて表彰されているのだ。

「農家のやるべきことは物理性、生物性、化学性を最大限高めること」「新しいものは時が経つと古くなる。でも、土と人間は時間をかけると育つ」と語る深作さんの話は、日本の「食」の潜在能力を考えるうえで、大きなヒントになるだろう。

農薬が身体に合わず、父は入院を繰り返した

深作さんは1981年、3兄弟の長男として生まれた。小学校に入る前から、父親に「お前は農業をやるんだ」と言われて育った。

思春期に入ると自分の将来が定まっていることに反発もおぼえたが、祖父母、父母が黙々と仕事をする姿を毎日のように見ているうちに、「やっぱり自分が継がなきゃな」と思うようになり、明治大学の農学部に進学。2004年、大学卒業と同時に父親のもとで修業を始めた。

最初に「土づくり」を始めたのは、父親だ。深作農園では、祖父の代にメロン、父親の代からイチゴの栽培を始めた。イチゴは苗を植えてから収穫まで1年弱かかる長期作物で、その分、農薬を使う頻度、量も多くなる。

その農薬が身体に合わず、毎年、冬になると入院するほどだった父親は1990年、農薬の使用をなるべく控えて、土壌中の酵母菌や乳酸菌など善玉菌を生かした土作りを始めた。深作さんはそれを徐々に進化させ、現在は有用な微生物80種類超に鶏糞や豚糞の堆肥、野菜の残渣などを混ぜた土を使うようになっている。

かつて“自家製肥料”は当たり前だった

この特別配合の土が深作農園の「肝」になるのだが、そのベースになる土は、もともと日本全国の農地で当たり前にあったものだという。

「僕が子どもの頃、おじいちゃん、おばあちゃんがよく海岸の松林に行って、葉っぱを集めて自家製堆肥を作っていました。戦後に普及し始めた化学肥料は『金肥かねごえ』と言われていて、当初は高くて買えなかったそうです。その頃は農業と畜産も今みたいに分かれていなくて、家畜が野菜の余りを食べて、その糞を肥料にしてという具合に一体化していました。自然と有機的な循環ができていたんです」

深作さんによると、この循環が途絶え始めたのが、1950年代から1960年代にかけて。日本の人口が増え、経済が上向き始めると、生産者にも化学肥料を買う余裕が出てきた。

試しに使ってみたら、想像以上に収穫量が増えた。堆肥を自分で作る手間が省けるし、化学肥料は効率がいい! ということで、日本中の生産者が化学肥料を使用するようになったそうだ。