現地人の心とく「根回し」の教え

千代田化工建設社長 
久保田 隆
(くぼた・たかし)
1946年、茨城県生まれ。69年東北大学工学部化学工学科卒業、千代田化工建設入社。95年海外第2プロジェクト本部 プロジェクト部長、98年取締役、2001年常務取締役兼執行役員、04年取締役兼執行役員、05年常務取締役兼執行役員。07年より現職。

1991年春から、インドネシアのカリマンタン島(ボルネオ島)の東部、赤道直下の標識から近いボンタンで、液化天然ガス(LNG)出荷基地増設の指揮を執る。だが、頭を悩ます日々が続く。日本から呼び寄せた50人近くの設計チームと、その下で働く約400人の現地人の部隊が、事あるごとに衝突し、作業が円滑に進まない。

受注したプロジェクトは総額約140億円。基地で零下160度にして液化した天然ガスを、船で日本の電力会社の火力発電所やガス会社の受け入れ基地に送り込む。建設が滞れば、その利用計画に支障をきたすし、様々なコストが膨らんで自社の業績にも悪影響を及ぼす。

それまでの海外プロジェクトは日本で設計し、資材の手配も済ませ、現地では建設工事と試運転をすればよかった。でも、今回はインドネシア政府が「地元のエンジニアリング会社を育成せよ」との条件を付け、建設地で一からすべてをやることになる。例のないことで、当然、現地責任者であるプロジェクトマネジャーを任された身に、力が入る。

しかし、「力」では、異なる文化を持つ同士を溶け合わせることはできない。考え出したのが「両者を、一緒に飲み食いさせてみよう」との案だ。設計チームはいくつかのグループに分かれ、それぞれ日本人が数人、インドネシア人が3、40人ほど付いていた。そのグループごとに「これで、思い切り飲み食いしてこい」と現金を渡し、送り出す。同国では、経費にR&R(レクリエーションとリフレッシュメント)という項目を認めていた。社員の福利厚生に使っていい費用だ。飲食代は安いから、それで十分だった。

衝突の背景には、日本人の「上から目線」がある。それは、千代田化工の社員に限らず、日本人全般に言えた。「われわれはインドネシア人より知識水準が高く、国力も上だ」との自負は、相手には驕りに映る。インドネシアの人々は、声高な自己主張はしない。だが、毎月一度、飲食を重ねるごとに率直に発言し、互いの胸中を知り合うようになる。