「QSC」の回復へ主導権を握る

ローソン社長・CEO 新浪剛史 にいなみ・たけし●1959年、神奈川県生まれ。81年慶應義塾大学経済学部卒業、三菱商事入社。配属は砂糖部。91年ハーバード大学経営大学院修了、MBA取得。95年ソデックス創業のため出向。2000年ローソンプロジェクト統括室長を経て、02年ローソン顧問から社長に。10年より経済同友会副代表幹事。

2004年、中国の企業グループと一緒につくった上海ローソンが、設立9年目で初の黒字となる。45歳。中国への進出は、成功への道に入ったかにみえた。だが、その先に、店舗展開の原則を揺さぶる大きな落とし穴が待っていた。

上海市への出店は、まだダイエーの傘下にあった1995年、総帥だった中内功氏に市から招きがあり、翌年に合弁で始めた。出資比率はローソンが70%、中国側が30%。主導権を持ち、中国初の外資系コンビニとして一号店を開く。日本で蓄積したノウハウを投入し、03年1月には100店目ができた。

ただ、店が増えるにつれ、いい立地場所が得にくくなっていた。仕事に慣れると、国営のコンビニへ転じる中国人従業員も続く。どちらも、「外資系」の身ゆえのハンディだった。やむを得ず、戦略を修正する。政府系企業に吸収された中国側の出資比率を51%に引き上げ、こちらは49%に落とす。すると、店の数は順調に増え、40代を終える直前の08年末、300店に達する。

だが、中国側主導への変更は、いい立地個所を増やしてはくれたが、実は、店に関する不満も増やしていた。新しい店も、国営コンビニに比べると条件が劣り、売上高が伸びない。店主たちの不満は募り、ローソンの命とも思う「QSC」が軽視され、客足が落ちる悪循環に入っていた。QSCとは、クオリティー(商品開発力)、サービス(接客)、クリーンリネス(清潔)の頭文字からとった標語で、社長になって以来、店に向上を求めている原則だ。

昨年9月、中国側から株式を買い取り、保有比率を85%に上げた。自ら代表取締役会長に相当する董事長に就任し、総経理(社長)も派遣した。経営権を完全に握り、QSCの回復へと動き出す。

まず、合弁会社の幹部たちを入れ替えた。顔をみて名前が出てくるようになる前に、一気に進める。馴染みができると、情が移る。それを防ぐための、スピードだ。商品の仕入れ、在庫の最小化などには、ローソン流を移植する。仕入れ先も、力と意欲のあるところに、絞り込む。

もちろん、従業員たちの士気を落としてはいけない。仕入れ役は、現地の事情や嗜好の変化に通じている中国人を研修し、任せた。店舗数や売上高を増やした場合、報奨金を出すことにもした。150億円をかけて店の再配置も進め、見込みのないところは見切る。この2月末で上海の店舗数は355。「QSC」が高い、屈強な集団になってきた。「あのとき、原則を曲げなくて、よかった」。いま、心底から、そう思う。

「枉己者、未有能直人者也」(己を枉ぐる者にして、未だ能く人を直くする者は有らざる也)――自分の理念を簡単に曲げてしまう人間で、人の過ちを正せた例はないとの意味。大切にすべき原則を安易に崩し、妥協してしまうことへの戒めだ。激しく理想主義を説いた中国の古典『孟子』にある言葉で、「これだけは、曲げたくない」としてビジネス展開の原則を堅持した新浪流は、この教えに重なる。

上海での立て直しには、「ミステリーショッパー」も活用している。正体を隠して店を回り、ひそかに実情を採点する面々だ。04年に国内で導入するとき、経営会議で説明すると、「店の評価をすることは、オーナーさまを評価するのと同じ。とんでもない」と猛反対された。当時は、加盟店主を「オーナーさま」と呼んでいた。それも、おかしい。店主とはパートナー。だから、「オーナーさん」でいい。そう指摘し、改善すべき点を了解してもらうには基準となる採点が必要だ、と説く。

一昨年7月、中国内陸部の重慶に出店、100%子会社で運営し、いま38店になる。昨年11月には、95%出資の合弁で大連にも出た。こちらは3店で始めた。上海の合弁会社の株式を買い増したときに、4人だけだった日本からの出向者が、いまでは3都市合わせると約60人。4年前から、日本への留学生を中心に外国人の採用に力を入れている。すでに計100人を超え、その6割は中国人。彼らの中からも、母国で腕を試す例が出始めた。