熱い論議を好む親分肌の「番長」

69年4月に入社し、配属先はLNG分野のプロセス設計部。ガス分野は傍流の時代だったが、「プラントに関係するところなら、どこでもいい」と思っていた。最初の仕事はブルネイのLNGプラントの見積もりづくりで、よくわからないうちに終わってしまう。このとき営業が注文を取っていたら、その後の道のりも変わっただろう。

だが、そうならず、神奈川県・根岸のLNG受け入れ基地の設計チームへ移る。国内初の基地の立ち上げ時で、「とにかくいって3カ月、試運転の手伝いをしてこい」と命じられた。よく覚えているが、11月8日に第一船の「コーラアラスカ号」が着き、アラスカ産のLNGを受け出す。パイプの結合部から漏れて、改善に苦労が続いた。

その後、東京湾沿岸に次々とできる電力会社やガス会社の受け入れ基地の設計チームを巡り歩き、10年間も同じ仕事が続く。正直言って、飽きていた。上司に「そろそろ、蒸留塔のあるところで仕事をしたい」イラン・イラク戦争が起きて、仕事が急停止する。代わりに回ってきたのが、インドネシアの設計だった。

2007年4月に社長となる。インドネシアから帰国後に遭遇した苦難とその克服については、次回で取り上げるが、社長になるまで土台となったのは、ボンタンで大勢を動かした経験。何よりも支えになったのが「聽之以心」の習慣だ。

もともとは、けっこう気が短かった。でも、インドネシアでかなり変わった。ずっと日本にいたら、人の話を最後まで聴き通すなどということは、できないままだっただろう。

どんな仕事でもそうだが、プロジェクトマネジャーにも向き不向きはある。でも、プロジェクトは会社の稼ぎ頭。適材を、見出していかねばならない。向いているのは、視野が狭くならない、いろいろなことに興味を持つ、そして気配りもできる人間だ。もちろん、「聽之以心」の人であってほしい。

適材か否かは、個々人を5年、10年の単位でみていれば、だいたいわかる。でも、もっと能動的に捜したい。だから、月に一度ほど、夕方6時から40代ぐらいの社員を7、8人集め、会議室にビールとつまみを用意して、飲みながら好きなことを言い合う。けっこう熱っぽい。

会は、人材捜しだけが目的ではない。自分から情報をとりにいく工夫をしないと、やはり裸の王様になる。ときに「社長、何でこんなことができないのか」と遠慮のない文句が出ると、「よし」と思う。「番長」としては、そういうのが好きだ。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)