かつての日英同盟といまの日米同盟はどこが違うのか。国際政治学者の篠田英朗・東京外国語大学教授は「現在の日米同盟は地政学理論に従って構築されている。その重要度は極めて大きい」という――。
※本稿は、篠田英朗『集団的自衛権で日本は守られる』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
マッキンダーの地政学理論で語られたこと
一般に考えられている通り、日英同盟は、日本にとって極めて合理的な同盟関係として機能した。1902年から1923年まで続いた日英同盟は、第二次世界大戦前の日本外交が最も安定していた時期だった。当時の日本にとっての日英同盟の重要性は、今日の日米同盟と比較しうるほどのものであったと言える。
この日英同盟の重要性を説明する視座を、同時代に理論的な見地から提供したのが、ハルフォード・マッキンダーであった。
マッキンダーは、地理学者として学究活動を開始した人物である。しかし、もともと若い頃から国際政治情勢の分析も好んで行っていた。そのためいつしか地理の研究と、国際政治の研究が、マッキンダーにおいて融合し始めた。そこで後世の人々は、マッキンダーのスタイルを、地理政治学という意味で地政学(geopolitics)と呼ぶようになった。
ロシアの南下政策こそ「歴史の地理的回転軸」
マッキンダーの地政学理論は、1904年の論文「歴史の地理的回転軸」によって、体系的に説明された。マッキンダーによれば、ユーラシア大陸の中央部を意味する「ハートランド」は、北極という無人地域を後背に持つ点で、特別な性格を持っている。
事実上ロシアを意味する「ハートランド」国家は、北方からの侵略者の脅威を持たない。ただしハートランドには、大洋に通じる河川を持たない大きな弱点がある。不凍港を持てず大陸の内奥に封じ込められているハートランドは、ほぼ必然的に南への拡張政策をとる。これは世界の中心的な大陸であるユーラシア大陸全域に影響を与える。
このロシアの南下政策こそが、最も基本的な地理的事情によって歴史が動かされていく「歴史の地理的回転軸」である。