「集団的自衛権」とは一体なにか。国際政治学者の篠田英朗・東京外国語大学教授は「その萌芽はアメリカ独立戦争にあった。北米13州は独立を宣言した後も戦争を仕掛けてくるイギリス軍を、共同行動を通じて排除した。これこそ集団的自衛権のはじまりだろう」という――。
※本稿は、篠田英朗『集団的自衛権で日本は守られる』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
「モンロー・ドクトリン」と集団的自衛権
19世紀までのヨーロッパ国際社会に、集団的自衛権の実践があったとは言えない。ところが、ヨーロッパ国際社会に反発して独立を果たしたアメリカ合衆国が採用した西半球世界の地域秩序には、集団的自衛権の萌芽があった。
そもそも北アメリカ13植民地がイギリス本国に対して独立戦争を仕掛けたのは、13の主権国家が共通目標を目指して行った共同行動であった。独立を勝ち取った後、13州は連邦制を取り入れて、単純な主権国家の集団ではなくなる。
すると今度は、南北アメリカ州の他の共和主義諸国との連帯を掲げて、ヨーロッパ植民地主義の西半球世界への浸食を防ぐ宣言を行った。
アメリカ人は、これを「モンロー・ドクトリン」の外交政策と呼んだ。「モンロー・ドクトリン」が何であったのかについては、様々な誤解がある。
しかし集団的自衛権の歴史の観点から見れば、「モンロー・ドクトリン」こそが、アメリカが20世紀になって国際秩序を作り替える際に、思想的に基盤とした伝統であった。したがって「モンロー・ドクトリン」とは何だったのかを知ることは、集団的自衛権の基本的な性格を知ることにつながる。