記録を残しておくべき最大の理由とは 

そして、最後の4つ目の理由。それは、少年の記録が非公開であることに、大きく関わる。

そもそも、少年の記録は、どうして非公開なのか。

それは、記録を明らかにすれば、少年が「誰」なのかという個人が特定され、少年の更生を妨げるからだ。だとすれば、こんな疑問が生まれないだろうか。

少年が成長し、大人として社会復帰し、立ち直ったとしたら、もはや公開しない理由は消えてなくなるはず。それでも少年の記録を明らかにしない理由は、果たしてどこにあるのか――という疑問だ。

最高裁判所
最高裁判所(写真=7/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons

今はかろうじて、被害者や遺族が記録の一部を見たり、コピーしたりすることが認められてはいる。それでも原則として、少年事件の記録は見られない。とくに、神戸連続児童殺傷事件の遺族は、少年法が改正される以前の事件だったため、まったく記録を見ることができなかった。遺族のやるせなさは、いかばかりか。

少年の更生は、たしかに大切だ。しかし一方で、国民の知る権利だって大切だ。それは、どちらか一方だけが大切ということではなく、ケース・バイ・ケースで天秤にかけられる話ではないだろうか。

知る権利が優先されるタイミングは必ず来る

だから、と私は考える。

更生に必要な期間を過ぎれば、遺族、ひいては国民の「知る権利」が優先されるタイミングもあるのではないだろうか。審判の結果が確定してから、10年、20年、あるいは30年……。いつの段階で公表が許されると考えるかは、人によって異なるだろう。

ただ、あえて理屈だけでいえば、少なくとも少年が天寿をまっとうした後は、記録を公表したとしても、さしつかえがないはずだ。

川名壮志『記者がひもとく少年事件史』(岩波新書)
川名壮志『記者がひもとく少年事件史』(岩波新書)

しかし、将来、こうした議論があったとしても、今回のように肝心の記録がすでに捨てられていたのでは、それこそ公開もへったくれもない。そう考えると、少年事件の記録は、成人の記録以上に保存する意味が大きい、といえる。

裁判の記録は、本当は「ゴミ」ではない。少年事件を含めて公文書だ。それを安易に捨てることは、国民の知る権利を奪うことになる。特に、少年事件の記録は、非公開が原則である以上、裁判所の「断捨離」には、つよい縛りが必要だ。

「裁判の記録って、捨ててもいいの?」

その答えは、「ノー」であるべきだ。

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