社会的には元々「存在しない」資料
ちょっとややこしいかもしれないが、つまり、こういうことだ。
オトナの刑事裁判や民事裁判とちがって、少年審判は、憲法が保障する「裁判の公開」の例外的なところに位置づけされている。
ざっくり言おう。オトナの裁判は公開。少年審判は、非公開。少年法によって、そのように定められているのだから仕方がないのだが、廷内にはマスコミも入れないし、一般の人も入れない。そして少年事件の記録そのものも、秘密のベールの中に包まれていて、社会には公表されない記録なのである(※)。
筆者註※2000年まで、被害者や遺族でさえも、記録を閲覧できなかった。
裁判所にとって、少年の記録はいわば「内部資料」だ。乱暴にいえば、記録を捨てようと、捨てまいと、社会的には元々「存在しない」にひとしい資料なのである。
外に公表する必要のない資料であれば、一定の期間(少年の場合は26歳になるまで)が過ぎれば、裁判所は、それを事務処理的に捨てていく。しかし、たとえ記録が保存されたとしても、それが未来永劫、公開されないのであれば、捨てられるのと大差ないだろう――と、かつての私は思っていた。
私は少年事件に縁が深い。2004年に長崎県の佐世保市で、上司の娘がクラスメートに殺害されて以来、このテーマに取り組んできた(佐世保小6同級生殺害事件)。しかし、少年事件が起こるたびに、情報のほとんどが非公開であることに、はがゆい思いをしてきた記者だ。
それでも、この20年間、少年事件の取材を続けてきた今、考えが変わってきた。少年事件の記録を残しておくことには、大きな意味があると感じている。少年事件、とりわけ重大な少年事件の記録を保存する意味は、少なくとも4つある。
記録を保存するべき4つの理由
まず1つは、少年事件に対する、裁判所と世間との大きなギャップだ。
私をふくめた世間一般の人は、少年事件に対して高い関心を持っている。その関心の温度は、裁判所が思っているよりも、ずっと高い。皮肉かもしれないが、少年審判が非公開だからこそ人々の関心が集まる、ともいえる。
それがはっきりわかるケースが、言わずと知れた神戸の連続児童殺傷事件だろう。
「少年A」は、少年審判で、男児と女児を殺害したことをあっさりと認めていた。つまり審判では、事実認定に争いがなかった。そして少年Aはこのとき14歳で、法律的にも、刑事裁判へと逆送できなかった(当時)。そのため少年院に入れることしか、選択肢がなかった。
そう、この事件はセンセーショナルではあったが、裁判所からみれば、争点はきわめて少なく、処遇も少年院一択のみ。裁判所的には、けっして「難しい」事件ではなかったのだ。
だが、その一方で、世間やマスコミの関心は、前例がないほどに熱を帯びていた。小学生5人を殺傷した「犯人」が、14歳の中学生だったという衝撃。それがどれほどのものだったかは、当時の新聞紙面を開くと、ありありと伝わってくる。
全国紙の各紙は、「少年A逮捕」のニュースを、朝刊の一面を丸々つかって報じているのだ。本来なら、新聞がもっとも重視する一面には、政治や経済などの複数の記事がかならず盛り込まれることになっている。紙面を偏らせないためだ。
それが、少年A逮捕で「一面ジャック」。異例も異例である。