辛口採点のオリ、のびしろの多いパラ
オリンピックというイベントはものすごい肥大化しています。創立者クーベルタンが提唱したアマチュアスポーツの祭典という理念よりも、商業的な面の非常に強い興行になっています。
興行となると、熱心なファンを獲得している大型イベントが、いまの時代他にもたくさんありますね。サッカーやラグビーのW杯もあるし、eスポーツもあります。その中でも最大規模のイベントとして、オリンピックにかかる期待値はどうしても高くなります。
もちろん今回の大会でも、ごく当たり前のスポーツの楽しみは感じられたし、選手たちも活躍できたし、スケートボードやサーフィンなどの新競技も盛り上がりました。そこはよかったと思いますが、逆に言うと、興行としての楽しみだけで、社会に訴えるものは特になかったなと僕は思います。
一方、パラリンピックはまだまだ寄せられる期待値が低い。ハードルが低いから、仮にイベントとしてどちらも同程度の完成度だったとしても、オリンピックはいまいちで、パラリンピックは大成功だ、と評価してもらえるのでしょう。
ボッチャの認知度が20倍になった
加えて、パラリンピックは大会を通じて多様性と共生を呼びかけるといった、社会への問題提起や課題解決の役割を担っています。そういったポジティブスイッチはオリンピックには少なくなっていますね。これは東京大会に限った話ではありませんが。
よく、レガシー(遺産)という言葉が聞かれます。この大会のレガシーはなんだったのか、と。
パラリンピックはわかりやすくて、ボッチャ(注:澤邊氏は日本ボッチャ協会の代表理事でもある)の場合、2014年の調査で国民の3パーセントにしか知られてなかったのが、いまは60%近くにまで認知が広まっています。障害のある方が活躍できると示せたし、大会後もスポンサーが減っておらず、引き続きご支援いただけています。
なによりも、競技の魅力が広く伝わったのが大きいですね。これは東京大会後の話ですが、競技会場に観戦に行くと、特別支援学校に通う重度障害者の子どもたちが、めちゃめちゃいきいきとボッチャやってるんです。その子たちは去年のテレビ中継で日本選手が活躍するのを見てカッコいいと思ったみたいで。すっかりアスリートの目つきになってるのを見て、僕も感動しちゃいました。
競技人口も増えています。健常者の間でも、です。「重度障碍者はスポーツなんかできない」とか「健常者はパラスポーツなんかやらない」といった固定観念をくつがえす“心のバリアフリー”が進みました。これは大きなレガシーだと思います。