「中原中也と小林秀雄をふった悪女」

――日本文学に登場する女性には毒婦や気が触れた女という設定が多い印象です。『夏日狂想』の主人公も、男性作家らに毒婦だと書かれますね。

新作『夏日狂想』は、芸術の世界で表現することを志す主人公・礼子が、文学者たちとの激しい恋や別れを経て、夢をかなえることができるのか――という物語です。

窪 美澄『夏日狂想』(新潮社)
窪 美澄『夏日狂想』(新潮社)

モデルの長谷川泰子はもともと女優で、資料などを見ると中原中也と小林秀雄をふった悪女であり、メンタルに問題のある女性だったと書かれています。実際、潔癖症であったようだし、多少は何か問題もあったのだと思いますが、それにしてもちょっと書かれすぎじゃないかなと。

そこに、すごく嫉妬めいたものを感じるのです。男性中心の文壇で、2人の才能のそばにいた泰子に対して、「あんな女に中也や秀雄を手玉に取れたわけがない」「支えられたはずがない」と、周りの才能ある男たちが嫉妬していたのではないかと。女を真正面から見ていない。女性は“聖域”に近づけないというか、「女性ごときにものが書けるか」「芸術ができるか」と思い込まれ、長い間、芸術の世界からのけ者にされていたのかなという気がします。

デビュー当時に投げかけられた言葉

私自身には女性であるということで差別された経験はありませんが、R-18文学賞大賞をいただいて、セクシャルな小説でデビューした時に、「欲求不満の主婦が書いたエロ小説」みたいなことを言われ、「もう2010年なのに?」とびっくりしました。まだ、そんなことを言われるのかと。

たとえば、かつて瀬戸内寂聴さんが『花芯』を書いて、すごく叩かれたという話などは知っていましたが、まだ女性の作家はそういう色眼鏡で見られてしまうのか、今も変わっていないんだなと驚きました。