平成の政治改革・構造改革はなぜうまくいかなかったのか。評論家の中野剛志さんは「人間の理性には限界があり、社会は複雑精妙にできている。そこに、2大政党のような単純な制度を導入しても、うまくいかないどころか、悲惨な結果をもたらしかねない」という――。
※本稿は、中野剛志『奇跡の社会科学』(PHP新書)の一部を再編集したものです。
「保守」の使い方がデタラメな日本
政治勢力や政治信条の分け方に、「保守」と「革新」、あるいは「保守」と「リベラル」というのがあります。
その「保守」の元祖と言われているのが、18世紀のイギリスの政治家エドマンド・バーク(1729-97)です。
1789年にフランス革命が勃発した時、バークは『フランス革命の省察』を著して、フランス革命のあり方を激烈に批判しました。
フランス革命は、ただ王政を打倒するというものではなく、社会を合理的なものへと抜本的に造り変えようとするラディカルな運動でした。
これに対して、バークは、社会を合理的なものへとラディカルに変えようとすること自体に反対し、その理由を雄弁に語りました。
この『フランス革命の省察』によって、バークは「保守主義の父」とみなされるようになりました。
バークが「保守」の元祖となったのは、社会を抜本的に変えることに反対したからです。
ところが、日本では、過去30年間、保守政党と言われる自由民主党や、保守派とみなされる政治家たちが、ラディカルな変化を唱えたり、支持したりしてきました。
彼らの掲げた標語は、「構造改革」だの「抜本的改革」だの「革命」だの「維新」だの「ゼロベース」だの「グレートリセット」だのと、挙げているときりがありません。
それが「保守」だと呼ばれているとバークが知ったら、目をむいたことでしょう。
それほど、日本では、「保守」という言葉の使い方がデタラメなのです。