「単純明快な政治」がダメな理由
『人間の本性は複雑微妙であり、したがって政治が達成すべき目標もきわめて入り組んでいる。権力の構造を単純化することは、人間の本性に見合っておらず、社会のあり方としても望ましくない。
政治体制を新しく構築するにあたり、物事を単純明快にすることをめざしたと自慢する連中は、政治の何たるかを少しもわかっていないか、でなければおよそ怠慢なのだ。
単純な政府とは、控えめに言っても、機能不全を運命づけられた代物にすぎない。
社会を特定の角度からしか眺めようとしない者にとっては、そんな政府のほうがずっと魅力的に映るだろう。達成すべき目標がただ一つしかないのであれば、たしかに政治体制は単純なほうが良い。
複雑な体制は、いくつものこみあった目標を満たすように構築されており、したがって個々の目標を達成する度合いにおいては劣る。だが社会が複雑なものである以上、「多くの目標が不完全に、かつ途切れ途切れに達成される」ほうが、「いくつかの目標は完璧に達成されたが、そのせいで残りの目標は放りっぱなしになったか、むしろ前より後退した」というよりマシなのである。』
「複雑さに耐えられない人」が改革を叫ぶ
このように、ラディカルな改革が失敗する理由は、一言で言えば、「社会も人間も複雑微妙だから」ということに尽きます。
社会の複雑さ、人間の微妙さに耐えられない人たちが、抜本的改革をやりたくなるのだと言ってもよいでしょう。
新聞やテレビは、政治や経済をできるだけ単純化して報道しようとします。
テレビの討論番組で、論者の主張が少しでも複雑になると、「分かりにくい!」と一喝して、発言をさえぎるような司会者がいます。
国民も、「日本の政治が悪いのは、誰々が利権を守るために改革を阻んでいるからだ」といった調子の、単純で分かりやすい主張を繰り返す政治家を好む傾向があります。
例えば、1990年代、2大政党制の確立を目指した政治改革が行われ、小選挙区制が導入されました。
2つの大きな政党があって、互いに公約を掲げ、国民は選挙でよい方を選ぶ。選挙に勝った政党が政権を担うが、公約の達成に失敗したら、また選挙をやって、もう一つの政党を選べばよい。
このように、2大政党制は確かに分かりやすい。この分かりやすさを求めて政治改革が行われ、そして、2009年、実際に政権交代が行われ、民主党政権が誕生しました。
しかし、今日となっては、この政権交代を評価する人はほとんどいませんし、2大政党制にすらなっていません。平成の政治は混乱し続けただけで、何の成果も生み出しませんでした。
昭和の政治の方が、ずっとマシだったのではないでしょうか。
政治改革は、どうして失敗したのか。詳細についてはよく研究する必要があるとはいえ、結局のところ、日本の政治というものが、2大政党制を唱えた政治改革論者たちが想定していたよりも、ずっと複雑だったということでしょう。
複雑な現実を想定していなかったのでは、改革が想定どおりにならないのも当然です。
〈参考〉エドマンド・バーク、佐藤健志編訳『【新訳】フランス革命の省察-「保守主義の父」かく語りき』(PHP研究所)、中野剛志『保守とは何だろうか』(NHK出版新書)