2009年、民主党は総選挙で300議席超の圧勝をおさめ、政権交代を実現した。民主党を率いた鳩山由紀夫氏は首相に就任し、鳩山政権は支持率7割でスタートした。ところが1年足らずで支持率は2割に急落する。憲政史家の倉山満さんがその理由を振り返る――。

※本稿は、倉山満『沈鬱の平成政治史 なぜ日本人は報われないのか?』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。

2009年9月16日、東京の皇居で行われた新閣僚と天皇との会談の後、副総理兼国家戦略担当大臣の菅直人(左)と話す新首相の鳩山由紀夫(当時)
写真=EPA/時事通信フォト
2009年9月16日、東京の皇居で行われた新閣僚と天皇との会談の後、副総理兼国家戦略担当大臣の菅直人(左)と話す新首相の鳩山由紀夫(当時)

「政権交代」が民主党の唯一の政策だった

平成21年9月16日、鳩山由紀夫内閣が発足します。民主党政権に交代した原因である経済状況の悪化は、引き続き大きな政治課題です。

民主党が福田康夫に押し付け、麻生太郎内閣で日本人を地獄に落とした、白川方明日本銀行総裁は、民主党政権でも居座り続けます。

民主党が愚かだった第一です。この人たちは、党利党略がわかっていなかった。

もし民主党が政治や経済の何たるかを理解していれば、即刻、日銀法を改正。総理大臣による総裁罷免権を復活して、白川を馘首。まともな人材を据えたでしょう。仮に、鳩山首相が即座に黒田東彦のような人を日銀総裁に据えていたら、景気は爆上げ、自民党など跡形もなくなっていたでしょう。

しかし、「政権交代」が唯一の政策であり結集原理である民主党にマクロ経済政策の要諦など、わかっていませんでした。

着々と準備を整える財務省

行政経験も無く、政治の素人である民主党に霞が関の全省庁が振り回される中、唯一の例外が財務省です。早くから民主党政権の成立を見越し、人員を配置していました。財務省は、平成21(2009)年7月14日に発令された人事で、民主党政権を見越した配置を行います。