思いがけぬ「ありがとう」の言葉

「もうやめたい。ぜんぶ捨てたい」

そう思い始めていた、8月のある日。「をかの」に葛粉を卸している問屋が訪ねてきて、榊に「ありがとうございました!」と頭を下げた。驚いて「え、なにがですか?」と問い返すと、問屋は何度も頭を下げながら、こう続けた。

「テレビで『をかの』の葛アイスが注目されたおかげで、いろいろなお店で作るようになったんです。コロナで注文がなくなってどうしようと思ってたけど、これで命がつながりました」

この瞬間、土砂降りの曇天に一筋の晴れ間がさすように、榊の胸のうちがスッと軽くなった。

「私のせいでたくさんの人を傷つけたと思ってたけど、救われた人もいるんだ。よかった……」

前向きな気持ちがよみがえった榊は、決心する。

「よく考えたら、コロナ禍でこんなに売れるのってめちゃいいことじゃん。今回、悲しいことになったのは私の力不足だから、次に同じようなことがあったら、みんなで笑えるようにしよう」

リングに倒れ、ノックアウト寸前だったボクサーがロープをつかんで立ち上がるように、6代目は挽回を誓った――。

「五穀祭菓をかの」の外観
筆者撮影
「五穀祭菓をかの」の外観

ギャルになって派手に振る舞う…笑顔の裏に隠された劣等感

榊は1995年、「をかの」5代目の父と母の元に生まれた。本店は桶川駅前の商店街にあり、商店街を遊び場にして育った。

「サングラスかけながら、三輪車でパン屋さんに行って、また来たの? 飴ちゃん舐める? って。八百屋さんに行ったら、お使い来たの? りんご持って帰りなって。うちのお店で働いている人たちも含めて、みんなに育ててもらいました」

明るく、朗らかな榊は、子どもの頃から大勢の友だちに囲まれていた。しかし、その笑顔の裏側には切ない劣等感も隠されていた。

「10歳年上のお姉ちゃんは中学校にファンクラブがあったくらい綺麗だし、委員会の代表をしたり、目立つ存在でした。でも、私はなにをするにも人より劣っていて、勉強もできなかったし運動神経も良くなかった。自分が人より秀でてる部分は友だちがたくさんいることだけで、そこで認められるしかないと思っていたから、嫌われないようにすごく必死でしたね」

「ギャル」だったころの榊さん
「ギャル」だったころの榊さん(写真提供=榊さん)

中学に入ると、メイクをするようになった。父親から「なに考えてんだ!」と叱られ、メイク道具を一式捨てられたこともあるが、それでもやめなかった。高校生になる頃には、バッチリメイクでミニスカートのギャルになっていた。もちろん、女の子としてかわいらしくなりたいという想いはあったが、それだけではなかった。

思春期に入ると、友だちに嫌われることをさらに恐れるようになり、自己主張できなくなっていた。それでおとなしい見た目をしていたら、いじめられるかもしれないという危機感があった。ギャルになって派手に振る舞うのは、自分を守るための武装でもあったのだ。