若い社長が見落としていた問題とは

しかし、このマニュアル化には大きな落とし穴がありました。マニュアル通りにパンを作ることで、品質がないがしろにされてしまったのです。

そもそもパンは生き物です。そのため、気温や湿度の変化によって完成度が異なり、マニュアル化は、その点を考慮していませんでした。マニュアル化が仕事にマンネリ感を与え、もっとパンの知識を学びたい従業員や腕がある職人は他の会社へ移っていきました。

光伯氏は、この経験から人があっての物づくりを痛感することになります。もう一度原点に返って、人づくりや物づくりをするべきとの反省を込めて、マニュアル化と並行し職人の技術を重視する製法に切り替えました。

たとえば、あんぱんの焼き上げ工程では、オーブンがトンネル型であるため、温度が変わりやすくパンの焼き色加減がぶれることから、コンベアのスピードを微調整する必要があります。この調整加減はマニュアルでは対応できません。そのため、経験値の高い職人と若手職人とを組ませるなどして人材育成を図りました。

こうしたことを一つひとつクリアしていくことで、従業員は物づくりへの意欲を取り戻し、木村屋は窮地を脱出することができたのです。

「目で見て覚える」やり方が業績低迷の要因に

以上の事例を踏まえて、木村屋の改革がいかなるプロセスで進められたのか見ていきましょう。

まずは、労務費と原材料費の見直しが行われました。この見直しが進む中で、オペレーションにおける業務の仕組みや人事管理、収益管理などにおいてこれまでのさまざまな弊害が浮き彫りになりました。

たとえば、オペレーション面では、バリューチェーンの各工程だけでなく工程間においても、業務の仕組みや手順が明確になっていなかったことから、社員が個人個人の判断で業務をバラバラに行っていました。しかも、各部署の社員は、入社後大きな人事異動がなく長期間同じ部署に留まり担当業務が変わらないという構造になっていました。

このように、明文化された仕組みもなく社員が自分の目で見て覚えるという世界観で仕事が行われることは業務遂行上非効率であり、それが最も大きな業績低迷要因となっていました。また、収益管理についても、共通の管理項目や基準が明確に定まっていなかったことから、社員が同じ方向に向かって目標を達成するという意識が薄く惰性で業務が行われていました。