出世コースには乗り遅れていたが、ようやく役職がつくことに
豊橋に着任してからの数年間で、私は支店開設以来、最大の収益案件を成約できた。これで周囲の目も変わった。
最初は私のやり方にあれこれ文句をつけてきた副支店長も何も言わなくなった。着任時から期待をかけてもらった熱川支店長に報いることができたことにも満足していた。
銀行はシビアなので、重要な顧客であれば、稼げない者は担当を外され、稼げる担当にまわってくる。つまり、勝者はどんどん勝ち続け、敗者はさらに負け続ける仕組みなのだ。このころ、私は営業マンとしてのキャリアで絶頂期にあった。
豊橋駅前支店での充実した歳月がすぎ、私は大阪市にある心斎橋支店に転勤を命ぜられた。そして、ついに「取引先課課長代理」という役職がついた。栄転だった。
私は出世レースに乗り遅れ、遠まわりを重ねていた。同期の出世頭からはもう7年もビハインドがついているものの、豊橋での活躍で営業マンとしての私はよみがえったのだ。自信とやる気がみなぎってくるのを感じていた。
「うちは若手が多い。目黒君には先生になってもらい、若手たちを指導してもらおうと思う」
心斎橋支店赴任後の全課合同の朝礼で、私は支店長にそう紹介された。光栄に思え、やりがいを感じた。銀行員はつねに出世競争を意識するため、他人を蹴落としてでも這い上がりたい。それゆえ知識やノウハウを自分だけのものにしてしまう習性がある。
私も若いころ、先輩たちに教えてもらえなかったことで悔しい思いをたくさんしていた。そんな思いもあり、前任店では若手の指導役を買って出ていた。きっとそれが評価されて、若手の指導役に抜擢されたのだろう。不満はなかった。
突然、副支店長からかかった「謎の招集」
稼いでナンボの営業だが、指導した後輩の上げた成果は私の貢献によるものだと思えば、モチベーションも維持できた。
その日から私は若手と毎日行動をともにし、マナーから、会社の見方、着眼点を教え、成績を上げる喜びを伝えた。毎週水曜の朝、定例の勉強会「心斎橋塾」を開講した。毎日の市場動向や、お客へのトーク術とマナーなどを、12人の行員に手取り足取り指導した。
夕方の報告会を終えると、副支店長から会議室に招集がかかった。
「目黒代理、なんすかね?」
2年目の若手・山下君が不安げな顔で聞いてきた。もちろん私にもわからない。会議室に入ると副支店長が険しい表情で待ち構えていた。
「遅いぞ! 時間どおりに来いよ!」
ほんの数分遅れただけだったが、副支店長は苛立っていた。
「今日、集まってもらったのは残業のことだ。山下、残業ってどこからどこまでや?」
「定時の17:10から退社する時間まで、です」
なんでそんなことを聞くのかと言わんばかりに口を尖らせながら山下君が答える。
「じゃあ聞くが、その時間に近くのコンビニにコーヒー買いに行ってるのは仕事か? 喫煙室でタバコ吸ってるのは仕事か? 女子行員とくっちゃべってるのは仕事なのか?」