安倍国葬は死去から81日後、吉田国葬は6日後

安倍氏の場合はどうだったか。7月8日に暗殺され、14日に岸田首相によって国葬の実施が発表された。安倍国葬は9月27日(死去から81日)。吉田国葬までの期間(6日後)に比べてかなり長い。この準備期間の長さによって、国葬に関する議論の余地を与え、SNSなどで否定的意見が拡散することになった。吉田国葬のようにスピーディーに実施していれば、「炎上」は起きなかったかもしれない。

昭和42年10月20日付朝日新聞・夕刊
写真=昭和42年10月20日付朝日新聞・夕刊
 

吉田氏死去の翌21日の朝日新聞朝刊では、国葬についての解説記事が組まれている。それによると、「新憲法の施行にともなって、以前の国葬令は失効している」こと。「だからといって、国葬をしてはならないことにはならないが、政教分離の観点から宗教色を排した儀式にするしかない」などと論じている。

当時も今と同じような議論がなされていたのだ。さらに記事では、「戦前までの国葬では全国民が仕事を休んで喪に服し、歌舞音曲の類も禁じられた。しかし、戦後は国民の祝日も法律によって決められており、もちろん歌舞音曲の禁止もできない相談」としている。

そうこうしているうちに10月23日、吉田氏の密葬が行われた。会場は、文京区のカトリック関口教会(東京カテドラル聖マリア大聖堂)だった。

意外にも吉田氏は、敬虔なクリスチャンだったのか?

実は歴代首相の中には、7人のクリスチャンがいた。第19代首相の原敬氏、第20代の高橋是清氏、第46代の片山哲氏、第52・53・54代の鳩山一郎氏、第68・69代の大平正芳氏、さらに吉田茂の孫にあたる第92代の麻生太郎氏らである。

しかし、吉田氏の場合は信仰が篤いとは言い難い。なぜなら、「天国泥棒」ともいわれる死後洗礼によって、クリスチャンになっているからだ。吉田氏は、雪子夫人がクリスチャンだったこともあり、生前にカトリック信者になりたいとの希望を家族に告げていた。死去直後に神父によって洗礼が行われ、「ヨゼフ・トマス・モア」との洗礼名を授かった。吉田氏の墓は、青山墓地につくられた(2011年に横浜市の久保山墓地に改葬)。

その実、吉田氏は戒名も授かっている。「叡光院殿徹誉明徳素匯大居士」。戒名は仏弟子になった証しでもある。吉田氏は、クリスチャンなのか仏教徒なのか、どっちなのか。かなり、いい加減だ。

だが、そんなことをいえば、麻生太郎氏もクリスチャンでありながら、神道政治連盟国会議員懇談会の名誉顧問に就任しているし、安倍氏も旧統一教会との関係が指摘されている通り。日本の政治家は、宗教に節操がないと思う。

ちなみに吉田氏の納棺に際してはトレードマークの葉巻、愛用のステッキ、ベレー帽、犬のぬいぐるみ、愛読した野村胡堂の捕物帳(『銭形平次捕物控』など)数冊が入れられた。大磯の自宅に弔問に訪れた佐藤栄作首相は、吉田氏の棺を開けて白菊を入れ、「先生これでさようなら。最後のお別れのあいさつに来ました」と述べると、棺に納められていた吉田氏のステッキと自分のものとを交換したとのエピソードも残されている。

10月31日午後2時より、日本武道館にて国葬が開式した。葬儀委員長の佐藤首相に衆参両議長、最高裁長官の「三権の長」のほか、73カ国から代表者ら約6000人が招待された。安倍国葬でも同規模が予定されているので、吉田国葬の規模感を踏襲したとみられる。昭和天皇と香淳皇后は皇居のテレビで中継を視聴した。