欲を減らすことで怒りが減る

「貪り」も同じです。貪りという感情もよくも悪くもなく、ただ機能としてあるものです。でも、必要以上に貪るからおかしなことになってしまう。

人間はいったん欲にとらわれると、欲が欲を呼び、とめどなく暴走していきます。自分にとって適正な状態を忘れ去ってしまうのですね。

いずれにせよ、わたしたちはもっと「足るを知る」必要があるのでしょう。禅には、「少欲しょうよく知足ちそく」という言葉があります。

少欲知足 欲を少なく、いま与えられているものに満足する

欲を少なくすれば、余計な怒りが生じにくくなります。

そして、怒りが減っていけば、人の悪口や愚痴などもいわない人間になっていきます。

部下に対しては問いかけが有効

ここで、ふだんの仕事や生活のなかで、どうしても感じてしまう怒りへの「具体的な対処法」も、例を絞って紹介しておきましょう。

例えば、あなたのまわりには、他人を振りまわすような人はいませんか? 自分の都合で人を巻き込んだり、他人の時間に対してリスペクトがなかったりする人に、多くの人は怒りを感じると思います。

わたしは、自分の身を守るという人間の本能の意味においても、怒りの感情は、自分より弱い者に向けてはならないと考えています。

そこで、まず自分より弱い立場にある人がなにか不都合なことをしたときは、怒るのではなく「諭す」といいと思います。

それこそ、朝の会議にいつも遅れてくる部下がいても、その場で怒ってはいけません。あとで機会をつくり、「君が遅れたことでチームのみんなにどんなことが起こると思う?」と問いかけるわけです。

諭すとは、まさに禅問答のように「問いかけ」をするイメージです。いまふうにいえば、「コーチング」ということになるでしょうか。

怒りは感情をそのままぶつけることであり、自分の感情をコントロールできていない証しです。つまり、「禅的」ではない状態といえます。

ただし、怒るべき場面で怒らないことで、まわりにいる人たちに示しがつかない場合もあるでしょう。同じ例でいうなら、みんなの前で「みんなもう揃っているよ」「会議は9時開始だぞ!」というのが「叱る」ことにあたります。

でも、叱るのも一方向の行為です。怒ってはいなくても、相手に気づきを与えることもありません。

どれだけ冷静に叱ったとしても、その人に対する「問いかけ」にはならないのです。