地元スタンフォード大学が端緒を作った

同年に、ラッセルとシグールのヴァリアン兄弟は大学の物理実験室に招かれ、そこで後のレーダー技術の基礎となる共同研究を始めた。2人は、ナチスから逃れるためドイツから移住したユダヤ人の量子物理学者だった。

スタンフォード大学は研究スペースと実験室用備品を提供する見返りに特許収入を得たが、その中には、ヴァリアン兄弟の発明した、空中でのレーダー探知技術に使われ、強力マイクロ波を生み出す有名なクライストロン真空管の特許が含まれていた。

スタンフォード大学は、20世紀に重大な影響を及ぼすほどのイノベーションを生み出しており、その支援の結果で得たロイヤルティー収入として、およそ200万ドル(今日の価値で1800万ドル)を得た。

カリフォルニア州のスタンフォード大学
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ターマンは、大学と民間産業との物理的な近さを重視する姿勢を継続し、1950年代前半には大学が所有していた未開発の土地の一部を「スタンフォード・インダストリアル・パーク」に指定。

インダストリアル・パークにはエレクトロニクス・ハイテク企業をテナントとして呼び込もうとした。1953年に最初に入居したのは、ヴァリアン・アソシエイツを創業したヴァリアン兄弟だった。間もなくこれに続いたのがヒューレット・パッカード(HP)で、ターマンは同社への最初の投資家にも名を連ねた。

最終的にはゼネラル・エレクトリック、イーストマン・コダック、ロッキード、ゼロックスなど、東海岸の名門企業さえもここに支社を構えるようになった(ゼロックスの場合は、パロアルト研究所(PARC)が同社の支社だった)。

規模の小さい会社でも成功する仕組み

企業とスタンフォードの教授陣や学生との距離をさらに近づけようと、ターマンは「名誉協力プログラム」を1954年にスタートさせて、地元のエレクトロニクス企業のエンジニアたちが大学院の講義に出席することを認めた。

1961年には32社が400人を超える従業員をスタンフォードの教室に送り込むようになっていた。キャンパス外でも、スタンフォードが産業界と席をともにするというビジョンを近郊のメンロパークで実現した。

ターマンの尽力が功を奏し、スタンフォード大学の首脳陣は大学と産業界の間に強力な協同関係を築き上げた。たとえば、1964年には、ショックレー半導体研究所出身のエンジニアを説得し、集積回路研究所が新たに設立され、そこで生まれた新技術が専門カリキュラムに組み込まれるようになった。

その数年後には、「スタンフォード産業連携プログラム」が拡大されて、企業各社が、少額の費用負担で大学の研究室や研究ミーティング、学生、教授陣、特別就職イベントを利用できるようになった。さらに、こうした産学協同プログラムから生まれた新しい発明の権利を守るべく、1969年にライセンシング室を設置し、新製品の商業化をサポートした。

技術上のアイデアが揉まれてレベルが向上していくという環境が与えられると、非常に規模の小さい企業でも成功を手にすることができた。

こうした教育機関の影響によって、資本、専門知識、アイデアがシリコンバレーに集中し、経済活動の密集地帯が生まれ、スタートアップ企業を基点とする、有り余るほどのビジネス機会が生まれた。