警備会社でたちまち責任者になり権力を握る
若い警備員のほとんどは、金のないバンドマンや、学費を稼ぎたい浪人生など、ほかに本業を持つ者たちだ。そのうえ当時は、会社の経営が傾いており、仙台の中でもとりわけ低賃金で募集を出していた。当然、誰もが時給の良いところから面接に行くため、必然的にやる気のない人間ばかりが集まっていたという。
「うちは、言うなれば髭ボウボウで、ワンカップ片手に競馬新聞をポケットに挿したおじさんが、いきなり酔っぱらって入ってきて『おい、明日から仕事あるか?』って来るような会社。常識で考えると駄目じゃないですか」
面接で確認することは、たった3つ。直近の犯罪歴がないか、自己破産をしていないか、日本人であるか、これをクリアすれば即採用だった。もちろん真面目に働く人もいるが、どうしても不真面目な人間は混ざってくる。現場を任せたのに森の中で寝ていた、というようなエピソードも日常的にあったという。
そのような環境下で、やる気のあった加藤はたちまち責任者のポジションに就いた。とはいっても名ばかりの管理職で、1カ月、150時間残業しても手当は一律5000円。それでも固定給は毎月確実に出たため、安定した収入にはなった。仙台市は年度末にかけて公共工事が増え、忙しくなる。
加藤は、在籍する警備員がどこの現場に入るかを決定する「配置係」という中間管理職に就き、一人で150人から200人の人間を束ねていた。配置係は、一人の人間を月25日間働かせようと思ったら、25回配置しなければならない。しかし「あいつは嫌いだから」という理由で、5回しか配置しなかった場合、日給計算なので、当人には月5日分の給料しか入らなくなってしまう。
このようなシステムの中で加藤はいわば権力者となり、「干してやる」ということができてしまう立場だったという。事実そのようなエピソードがあったと、大友氏は語る。
「どちらかというと中間管理職で弱い者いじめをしていたイメージ」
「ある警備員から『全然仕事がもらえない』って相談されたから、加藤くんに『どうした? ちゃんと配置してんのか?』って聞いたら、机の裏側にその人の名前の書いてあるマグネットが落ちていたんですよ。本人は『あぁ、落っこちてた。これじゃ配置できねえや、ハハハ』と高笑いしてるから、『お前ふざけんな、この野郎! 何だと思ってるんだ』って怒鳴りつけた。まあ、あとで『すみませんでした』って詫びてきましたけどね」
加藤が事件を起こした2008年は、労働者派遣法の規制緩和により派遣社員が急増していた時期だ。会社都合でいきなり契約を解除される「派遣切り」が問題となり、「ワーキングプア」「ネットカフェ難民」などの用語も生み出されていた。そのため、派遣労働の企業を渡り歩いていた加藤の事件に対し、格差社会が生み出した貧困労働者による犯罪として論じるメディアも多々あった。しかし、大友氏の印象はそれと違うようだ。
「僕の知ってる加藤くんは、どちらかというと中間管理職で弱い者いじめをしていたイメージのほうが大きいです。完全に見下している人に対して、そういう傾向が強かった」