英語と岡山弁の心地よい融合

紅白を入口に、YouTubeチャンネルを観はじめたら、まあ、まるっと風。MVはもちろん、MV撮影の裏側もコンサート映像もライブ配信も、ありとあらゆる風を惜しみなく見せてくれる。そらあ、風見たさにページを手繰るわけですよ。

一人称はワシ。英語と岡山弁を自然に混ぜ込んだしゃべり口調が独特。脳内に浮かんだ言葉を超自然に英語と岡山弁で使い分けていて、不思議な親近感がある。すらすらと流れ出る英語も、英語がわからない人にもわかりやすい気がする。何なんw? あのここちよい雰囲気は。

と思っていたら、ライブ動画(コロナで公演中止となり、急遽ピアノ弾き語りライブを配信)の中で「なぜ英語なのか?」という質問に対して、本人はこう変化球を投げ返していた。

「英語は耳コピ。発音をまねして。恥とプライドを捨てること。ワシ、日本語もへたくそじゃけん、失うものがないんで」

ミュージシャンはどこかでナルシストで、常人にない感覚やとんがったかっこいい部分を商品として売り出すのが定石。

ところが、風がもたらすフラットな雰囲気には、壁も天井もない。高低差も段差もない、同じ地面に立っている感覚。おでこに大きな吹き出物(本人いわくクソデカニキビ)ができていても、歯の矯正をしていても、隠さずありのままの姿で(基本パジャマや家着)ライブ配信を行う風。

ライブ配信の基本は寝そべったり、立て膝だったり、うんこ座りのまま。ジャージやスウェット姿で、じゃがりこ食ったりしてね。観る側は「同じ部屋の中で目の前にいる感じ」を味わえる。

床に置いたキーボードピアノで弾き語るのだが、表情も表現も豊か。歌うことと弾くことが、もうそれこそ呼吸をするように自律神経の一環として行われている。観ている側も心地よく、自律神経のバランスが整う感じがする。

もともと音楽に疎く、さほど興味のない私が、風に吹かれて、すっかり魅了されたのだった。風の魅力を言語化し始めたら、キリがないから、もうええわ。

なぜか確定申告の作業がはかどる

紅白から入り、ファンの入口にようやくたどり着いた新参者で「にわか」である。ただ、自分でも想像以上に気に入っとるなと痛感したのが、確定申告だった。

毎年1月に確定申告の作業をするときは、YouTubeで柳家喬太郎の落語を聴きながら、が定番だった。毎回同じところで吹き出しながらも(「孫、帰る」の家具のハヤミズとか)、なぜかデータ入力がさくさく進むからだ。

今年は試しに、風の配信動画を聴きながらやってみた。予想以上にはかどったのである。1日がかりの面倒くさい入力も、へでもねーよ、と思えるようになった。今後も、喬太郎&風の二刀流で私の確定申告は支えられていくことだろう。