救急車が到着したのは発見から約1時間後だった

第一発見者のアルバイトに加え、内田が倒れていることに気づいたもう1人の男性アルバイトも、事の成り行きを見守っていると、リーダーが電話してスーパーバイザーがやってくるのに10分近くかかったという。その間、内田のいびきのような音も徐々に小さくなっていくのに気がついていた、と彼らは口をそろえる。

スーパーバイザーは、警備員と一緒に車椅子を持ってきたが、とても車椅子に乗せられる状態ではない、ということで、今度はアマゾンの社員を携帯電話で呼んだ。10人ほどのアマゾン社員とセンター内の救急隊がAED(自動体外式除細動器)を持ってやってきた。しかし、AEDによる応急措置をほどこすと、内田は吐血した。

ようやく救急車が呼ばれ、物流センターの1階に到着したのは10時30分過ぎのこと。内田が倒れてから1時間前後がたっている。その後、搬送された病院で息を引き取る。享年59。死亡届に記入された死因は、くも膜下出血だった。

急行する救急車
写真=iStock.com/gyro
※写真はイメージです

亡くなった当日の朝、内田と言葉を交わした庄司恵子(仮名)は、こう話す。

「9時の始業前に、2階の静脈認証のコンピュータの前で顔を合わせると、おはよう、っていつも通りにあいさつしたんです。今日の作業はどこなのって、内田さんに訊かれたので、2階でストーですって言うと、私はいつもと変わらず4階のBトンボだよ、って返事があったんです。じゃあまたお昼にね、って言って別れたんです。出勤日が同じときは、いつも仲間数人で一緒にお昼を食べていましたから」

しかし、正午のお昼休憩になっても、内田が食堂に姿を現すことはなかった。庄司は仲間と、「どうしたんだろうね」、「休憩時間がずれることはめったにないんだけどね」などと話していた。

「誰かが亡くなったという話は一言も出てきませんでした」

庄司が、内田が倒れたことを聞いたのは、午後5時ごろのこと。作業場所が移動となったので、配置表を見ているとき、別のアルバイトから「今朝、内田さんが倒れたのを知っている?」と言われ、はじめて内田が病院に運ばれたのを知る。内田が亡くなったのを知るのは、翌日、出勤してからのこと。アルバイト仲間が教えてくれた。庄司はこう語る。

「びっくりしたのはもちろんのことですが、信じられない気持ちの方が大きかったですね。その日の朝、お昼を一緒に食べようね、って話していた人が突然いなくなるなんて。生まれてはじめて経験しましたが、こんな別れ方もあるんだな、って呆然としました」

冒頭の西川が嘆いたように、内田が亡くなったという事実が、物流センター内の朝礼で語られることはなかった。内田が亡くなった翌日に出勤したアルバイトはこう話す。

「朝礼では、緊急に病院に搬送された人がいるんですが、倒れたワーカーさんを発見してから病院に搬送するまでに時間がかかりすぎた、とは言っていました。けれど、誰かが亡くなったという話は一言も出てきませんでした。とはいえ、毎日顔を合わせている仲間が亡くなればすぐに伝わります。亡くなったのが内田さんであることは、彼女と面識のあった人ならほぼ全員知っていたんじゃないでしょうか」