トラウマを隠さない、受け入れてくれる人を探そう

好きになった人に嫌われたくない一心で、過去の嫌なことを隠そうとする気持ちはよくわかります。でも僕は、隠す必要なんてあるのかな、と思いますよ。人間は弱いものである、っていうのはべつに認めてもいいんじゃないでしょうか。

たとえば、若いころにリストカットした痕が大きく残っていて、「もし彼に訊ねられたらどうしよう」と悩むのだったら、いっそ隠さず、「いまはぜんぜん大丈夫だし、そんな気分にもならないけど、昔、自分をそうやって傷つけなきゃいけないような嫌なことがあった。人ってそういう時期もあるよね」ぐらいのことはいってみていいんじゃないでしょうか。

細い手首には包帯が巻かれている
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それでも受け入れてくれる人と一緒になったほうが幸せなはずですよ。「トラウマは悪いことだ」と考えて、そういうものを持たない自分を演じるよりも、いまは幸せだけど、そんな過去もあったね、ということを分かち合える環境に身を置いたほうが、人生をのびのびと過ごせると思うんです。

弱さをさらけだすことは大切

自分の子どもに対してもトラウマを隠さないほうがいいと思います。メンタル弱い系の人だと、子どももやはりメンタル弱い系に育つことがよくあります。子どもにとっては、家庭が弱さをさらけだせる環境であることが大切だと思うんです。そのためには自分自身が弱さをさらけだす必要があります。

もし、「人間は○○であることが当然で、そうでないなら人間として失格」みたいな考え方になってしまうと、「じゃあ、もう現実から逃げだしてやれ」となりがちですよね。

なので、「まあ思い通りにならないのは当然だし、つらいことがあって嫌になるのも当然だよね」と考えて、子どもに何かあっても、「人間そんなものだよね」って受け入れてあげる。そんな家族や友人がいる環境にしたほうが、メンタルが弱い子どもにはなりにくいと思います。

さっきのリストカットの話に戻ると、子どもにもリストカットの過去を話すのはいいことだと思いますよ。

自殺を試みる場合って、「結局だれひとり周りの人に頼れない」とか「べつに自分がいなくたってだれも困らない」などと考えて、「だったらこのまま現実からいなくなってしまおう」と思ったりするような気がします。

だけど、人はまあどんなクソ野郎でも頼れる人はいるし、なんか一緒にいると楽しいと思ってくれる人もいるよね、というのはあるんじゃないでしょうか。それを子どもに教えるためにも、トラウマはいい教材にもなるんです。

もしリストカットの痕を子どもに訊ねられたら、「リストカットしたおかげで、いまは楽しく暮らしてるんだよ」って教えてあげたらいいんじゃないかな、と思います。