幼少期から厳しく当たられ、恨みに近い感情を持ってきた親に介護が必要になったとき、娘・息子はそれを引き受けるべきなのか。長い間厳しい父との関係に悩んできた天台宗僧侶の髙橋美清さんは「介護がつらくて悩んでいる方に『今から親を愛しいと思え』と言っても無理な話です。私の場合は、相手に感謝を求めなくなったことで、かなり楽になりました」といいます――。
天台宗僧侶の髙橋美清さん
撮影=プレジデントオンライン編集部
天台宗僧侶の髙橋美清さん

いくら親でもイヤなものはイヤ

「嫌いな親の面倒を見るのがつらいんです」と悩む人から相談を受けることがあります。相談される方は「親の介護をするのが苦痛なんですが、そんなふうに思ってしまう自分もイヤなんです」と自分を責めている人が多い。でも、それは当たり前のこと。いくら血のつながった親でも、やっぱりイヤなものはイヤ。自分を責める必要はありません。

ただ、自分が抱えるネガティブな感情は相手にも伝わって、相手もイヤな態度で返してくるものなので、結局は自分に返ってきてしまいます。では、どんなふうに自分の気持ちを切り替えたらいいのか。こうした相談をされた時、私は自分のことをお話ししています。私の父は現在83歳で、2020年5月から老人介護施設で暮らしていますが、それまでは私の家で面倒をみていました。今は、穏やかな気持ちで父に接していますが、最初からそうだったわけではないからです。

“絶対君主”のようだった父

「友達のような親子関係」というフレーズがあります。しかし、1960年代生まれの方の中には、「そんなこと考えられない」という方もおられるのではないでしょうか。

かくいう私も、父との関係はそれとは程遠く、父といえば絶対君主的な怖い存在でした。妹には優しいのですが、私には本当に厳しかった。母はいつも父に尽くしていましたが、父は母をぞんざいに扱っていて、子どもの頃の私はそんな両親を、「対等な夫婦関係ではないな」「父は母に優しくないな」と思ったものです。

父はしつけにも厳しい人でした。ごはんを食べる時はいつも正座。大した家柄ではないのですが、お客様がいらしたら三つ指をついて玄関で挨拶するよう言われ、父が仕事から帰ってくると靴を磨くのが日課。朝は、「一晩置くとほこりがつくから」と、父が出掛ける前に靴のほこりを払います。日曜日に疲れて寝ていて、「いつまで寝ているんだ」と水をかけられたこともありました。

口の利き方にも厳しく、中学生の時に家の電話(当時は携帯などありませんでしたから)で友達としゃべっていて、「うん、うん」と相づちを打ったら、突然後ろから、「返事は『はい』だろう」と頭をはたかれたこともあります。