日本人の平均寿命は右肩上がりで延びている。医師・医療未来学者の奥真也さんは「このままでは公的医療制度は維持できない。医療は『特上』と『並』に分かれ、経済力に応じた医療しか受けられなくなるだろう」という――。

※本稿は、奥真也『人は死ねない 超長寿時代に向けた20の視点』(晶文社)の一部を再編集したものです。

車椅子に座って窓から外を眺める老人
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寿命が延びるほど「無病息災」は難しくなる

私は、人間のほとんどの臓器の「耐用年数」は50年程度であると考えています。

たとえば、日本人の平均閉経年齢が約50歳(日本産婦人科学会ホームページより)というデータは、人間の生殖能力が50歳前後を境に減退していくことを示しています。

種の存続という視点だけで考えたときの人間の寿命を約50年とするなら、その部品である臓器の寿命もそれに近いと考えるのが妥当だと思います。

ロコモティブシンドローム(運動器障害のために移動機能の低下をきたした状態)のリスクが50代から大きく増加することも、臓器の耐用年数を50年と考える根拠の一つです。

人生が長くなるにつれて、小さな不調や病気に見舞われる回数はこれまで以上に増えていくことは間違いありません。「無病息災」は確かに理想ではありますが、それは寿命が延びれば延びるほど難しくなるでしょう。

ふだんから健康維持につとめて、それでもやってくる小さな不調や病気とうまくつきあっていく「多病息災」こそが、未来に生きる長寿の人類の自然な姿なのだと思います。

そうなれば「健康」の定義も変わります。

「多病息災」で、今以上に医療費がかかる

昔は「健康」といえば病気が一つもない状態を指していました。いわゆる「無病息災」です。医学が発達しておらず、一つの病気が命取りになることもあったため、そのように考えたのかもしれません。

一方で「一病息災」という言葉もありました。一つぐらい病気をしていたほうが、健康維持に気をつけるようになるので長生きできる、という意味です。

しかし今後は、人類史上、例を見ないほど人間の寿命が延びていくことが考えられます。そんな時代に「無病息災」や「一病息災」は至難のわざです。これからの「健康」は「多病息災」だと思えばいいのです。