今は国民皆保険とフリーアクセスによって、ほとんどの人が安い負担額で医療の恩恵にあずかることができています。しかし将来、保険でカバーされるのは致死的な病気だけになり、そうでない病気の治療は自己負担になることは、「お金の多寡」によって長生きの質が変わってくることを意味します。

奥真也『人は死ねない 超長寿時代に向けた20の視点』(晶文社)
奥真也『人は死ねない 超長寿時代に向けた20の視点』(晶文社)

致死的な病気に関しては、誰もが保険で面倒を見てもらえますから、死を免れることはできます。ただ、命を取り留めた先の医療費は、致死的とみなされない限りは自分の懐から出すことになります。そこでお金を気にせずに治療を選べる人とそうでない人が出てくるのです。

未来の医療では、治療は侵襲性(体に傷害を与える可能性のこと)や予後のよしあしによってランク付けされていくと思います。「特上」「並」とランクの高いほうから3種類の治療があった場合、「特上」を選べるのは富める一部の人だけになるでしょう。

たとえば、「特上」を選べた人は体の負担の軽い最新のロボットによる手術を受けることができますから、入院日数は短くてすみ、退院後の経過も良好。いち早く日常を取り戻して、以前とあまり変わらない生活を送れるかもしれません。

「並」を選んだ人は、手術は受けられるけれども従来どおり時間を要する開腹手術になるかもしれません。肉体的負担が大きいため、リハビリに日数がかかり、退院後に仕事に復帰するのも「特上」を選んだ人より時間がかかります。

「特上」「並」に分けられる医療の未来

「特上」を選んだ人と、「並」を選んだ人。双方を比べると、命を取り留めた点は同じであるものの、その後の生活の質に差が出てきます。経済力が長生きの質を決めてしまうのです。

好むと好まざるとにかかわらず、私たちは長生きします。人生80年と人生120年では、その過ごし方は大きく変わってくるはずです。延びたぶんの人生をどう生きるかは考えておかねばなりません。

私は、どうせ長生きするなら、なるべく身体を大事にして「多病息災」でいる期間をできる限り長くし、人生120年をめいっぱい楽しんだほうがいいと考えています。

ただ、死はいつか必ずやってきます。どんなに健康管理をしようとも、私たちはいつかは死にますし、その前段階では健康を大きく損ねることもあるでしょう。

そのとき、ある程度のお金を手元に残してあることが重要です。身体が弱り、自分で自分のことができなくなる死ぬ前のつらい段階を楽しく、充実した時間に変えられる可能性があるからです。

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