23歳で市議選に初出馬し、4年後に初当選
青少年部に所属したマリンは、2008年に23歳で地元タンペレの市議会議員に出馬するも、落選。しかしその後、メキメキと頭角を現していく。2010年には25歳で党青少年部の副代表となり、2012年にタンペレ市の市議会議員選挙に再挑戦して当選。その翌年には、すぐに市議会議長に就任した。
議長は通常第二党から出すのが慣例で、この時、市議会で第二党だった社会民主党の議員たちは、全会一致で彼女を議長に推した。マリンは路面電車の新設など難しい議題でさっそく手腕を発揮し、どんな難局でも話し合いを前進させてまとめ上げる、非常に頑固で厳しい議長として知名度も評判も上げていった。
この時期に、話し合いが何時間もの膠着状態に陥っても粘り強く対応し、多数決を取る際に「まだ話し合いが足りない」と叫んで粘ろうとする議員に向かって、断固とした態度で応じる姿が注目を集め、メディアやSNSでも拡散されていた。実は当時、私もタンペレ在住の友人から「市議会の議長がすごいから、見てみて!」と動画を見せられたことがある。
首相となった今でも市議会議員を兼任
地方議会の議長をつとめながら、マリンは2014年には党の第二副党首に就任し、2015年には国会議員に初当選した。フィンランドでは地方議員と国会議員を掛け持ちすることが可能で、多くの国会議員が大臣職に就いた後でも地方議員を続けている。マリンも、首相となった現在でもタンペレ市議会の議員を兼任している。
さらに2017年には、党の第一副党首に就任。2019年春の国政選挙では急病で倒れた党首に代わって選挙戦を率いて、社会民主党は約20年ぶりに第一党となった。その後に誕生した政権では、運輸通信大臣に就任。
フィンランドでは連立政権を担う党が大臣職を分け合うため、党内で地位や評価が高ければ、議員1期目、2期目でも大臣に就任することがある。そして同年12月、首相をつとめていた同党の党首アンティ・リンネの辞任に伴い、第一副党首のマリンが首相候補選で勝利し、首相となった。