ちなみに、フィンランドで大学に入るには、高校卒業試験の結果に加え、各志望大学の試験がカギとなる。学部によっては非常に競争が激しいが、試験のために塾に通うことはない。大学試験は高校時に学んだことではなく、これから学ぶ専門分野の基礎を問うものが多く、課題図書などもある。通常は自習で乗り切り、浪人して大学のオープンカレッジなどで関連科目を学ぶことはあっても、高額なお金を払って塾に通う文化はない。
大学院までは、先述の通り授業料は無料だし、学生には国から支給される生活費や家賃の手当、さらには国の学生ローンもあるので、どんな家庭であっても進学することができる。しかし彼女はローンには頼りたくないと、大学生活の合間にアルバイトをして生活した。それは、ローンが返せなかったらどうしようという不安が強かったためで、経済的に余裕のある家庭の出身だったらローンに対する恐怖心は違っていただろうと後に語っている。
若者の失業や気候変動問題に関心を持ち政治の道へ
大学に入学した頃に、サンナ・マリンは政治への不満を抱き始める。アルバイトをしながら気づいた若者の失業問題の他にも、気候変動などの急を要する課題に政治家が十分に向き合っていないと感じたためだ。そこで、「自分自身が政治に関わり、世の中を良くしたい」と考えるようになり、社会民主党の青少年部に所属することにした。
社会民主党を選んだ理由は、自身の経験などから「生まれや背景に関係なく、誰もが社会で成功できること」が重要だと考えていたからで、そうした信条や価値観に最も近い左派政党だったためだ。
フィンランドでは市民教育が盛んで、社会は一人ひとりがつくるものだと多くの人が主体的に考えている。各政党には青少年部があり、若者が10代の頃から政党に関わるのは珍しくない。マリンも20歳頃から社会民主党青少年部の中で積極的に活動に参加し、大学や地域の学生議会、学生アパートの自治会などであらゆる役職に携わって、徐々に存在感を示していった。
ちなみに大学での勉強は政治活動をしながら行っていたため、卒業するまでに10年以上かかり、国会議員になった後の2017年に修士号を取得している。フィンランドでは自分が何を勉強したいか、将来は何をしたいのかをゆっくり考えながら進学する人も多いので、入学する年齢もバラバラなら、卒業までにかかる年数もそれぞれだ。
大学生と社会人のはっきりした境目はなく、学生の間に仕事を始めてしまう人もいるし、ある程度仕事をしてから学生に戻る人も多い。