ネガティブな対処法が悪いとは言い切れないワケ

基本的には、ポジティブな対処法はよい対処法である。なぜならば、後悔を低減させるだけでなく、適応的行動を促進するからである。ここでいう適応的行動とは、「人が何かを経験した後、その経験を活かし、その後の行動をよりよい方向に改善するための認識や態度・行動」のことである。

さらに詳しく定義すると、「経験を活かすために、自分自身や周囲の環境に直接的・間接的、あるいは能動的・受動的に働きかけ、自分のみならず他者の態度や行動の改善・成長を阻害する要因を減少させたり、それらを促進する要因を増加させたりする認識や態度・行動」のことになる。たとえば、謝罪は適応的行動(同じ過ちを繰り返さないなど)を促進する。

しかしながら、ネガティブな対処法が一概に悪いとは言い切れない。図表1に示したように、一般的な後悔の場合では、「自己正当化」によって、行動した後悔と行動しなかった後悔の両方とも低減している。対人関係の後悔の場合では、行動をしたための後悔(けんかなど)については、「何もしない」ことにより後悔が低減している。時と場合によっては、ネガティブな対処法も十分に役に立つ場合があるといえる。

あまりにも大きな出来事を受け止めるには時間が必要

非常に大きな後悔を感じてしまった場合、それを受け止めるには時間が必要である。そのような場合には、無理にその出来事に向き合うよりも、少し距離を置いたほうがよい。非常に大きなストレスやトラウマを抱えるような出来事に直面した場合、その出来事を受け入れるまでには、いくつかの段階を経ることが知られている。

末期のがん患者が死を受け入れるまでにたどる心理的過程には、第1段階「否認と孤立」(自分は死ぬはずはない、周囲からの孤立)、第2段階「怒り」(自分自身や周囲の人たちに対する怒り)、第3段階「取り引き」(どんなことでも受け入れるので、助けてほしい)、第4段階「抑うつ」(嘆き、悲しみ、失望、無力感)、第5段階「受容」(死の受け入れ)という5段階がある。

このような場合、自分自身と向き合うためには、ある程度長い時間が必要となる。「死」というような極端なことだけでなく、大きな事件や事故に見舞われた場合なども、同じような段階を経るだろう。

これらのような、あまりにも大きな出来事の場合には、自分自身やその出来事などに向き合うことはせず、それらから離れることも重要である。それらから離れていることで、自分の気持ちを把握し、その出来事を客観的に見ることができるようになるだけの心理的な余裕が生まれる。時と場合によっては、「何もしない」「考えないようにする」ということも非常に有効な方法になる。

他にも、自分の感情を爆発させることで、気持ちがスッキリすることもある。自分に対して怒ることによって、自分自身に対する不信感や情けなさを払拭ふっしょくしたり、あるいは他者に対する悲しみなどを表出することで、自分の気持ちに整理をつけたりすることはよくある。そしてその後に、何らかの対処をすることによって、その出来事に対する後悔がずっと続くことを防ぐことが可能になるだろう。