ルーブルが大幅に減価し、プーチン政権は誕生した

だから、計画経済をやめて市場経済に変えるのは、中国のように外国資本が一度に大量に流入でもしてこない限り、ほぼ不可能。例えば多数の国営企業の株を買い取れるほどの資力が民間にない。日本でも小泉政権の時に決まった日本郵政民営化で、株を市場で消化するのに何年もかかったことを思えば、それはわかるだろう。そして、カネがあったとしても、市場経済で企業を経営した経験のある者がロシアにはいなかった。

1990年代後半、エリツィンは国債の大量発行で偽りの繁栄を築く。しかし、1998年5月、インド・パキスタン間で核戦争の危機が高まったことで、高リスクのロシア国債は投げ売りされ、同年8月にはロシア政府は元利支払いを停止、デフォルトを宣言する。ルーブルは4カ月で3分の1以下へと値を下げ、モスクワ市内の高級レストランはがらがらになった。

暖かい晴れた日の午後、レストランで座っている 2 つの空ワイン グラス
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その混乱がまだ収まらない1999年12月、エリツィン大統領はプーチンに権力を禅譲、プーチン時代となったのである。ルーブルが大幅に減価するところまでは、制裁を食らった後の今のロシアに似ている。後はプーチンが誰かに権力を禅譲すれば、歴史の一サイクルは回ったことになる。

2012年、プーチンはロシアのWTO加盟をやり遂げた

まだサンクト・ペテルブルクで無名だった1997年、プーチンは博士論文を出した。その題名は、「市場経済形成下における鉱産業の再生・その戦略的方向」。要するに、国の富の基本である石油・資源部門を政府ががっちり押さえ、そこから上がる利益で賢い投資を行っていこうという、ソ連時代のブレジネフを髣髴ほうふつとさせる内容のものである。

プーチンは大統領になると、この政策を早速実現する。サンクト・ペテルブルク市庁勤務時代からの側近、セーチンを使って、ソ連崩壊でばらばらになっていた石油・ガス部門をほとんど政府の下に集約してしまうのである。ソ連時代と違うのは、外国資本を恐れず活用して、製造業を改革しようとする姿勢、そして民営の中小企業を振興しようとする点である。だからプーチンは2012年、交渉を始めて18年も経っていたロシアのWTO加盟をやり遂げ、OECD加盟を次の目標にすえたのである。