平均賃金は13年で5倍、消費生活はぐんと良くなった

このようなプーチノミクスは目覚ましい成果を上げた……ように見えた。

エリツィンから政権を引き継いだ2000年は、まだソ連崩壊と1998年のデフォルトの傷跡が生々しく、既に言ったように給料遅配、企業間の現物決済=物々交換は収まっていなかった。2000年のGDPはわずか2600億ドル程度しかなかったのである。ところがリーマン・ショック前の2007年にはGDPは1兆3000億ドル、つまり7年で5倍になり、まさに中国を上回る世界史上の一大奇蹟(手品)を成し遂げる。

平均賃金も2000年から2013年の間に5倍になり、プーチンの支持率を高止まりさせる消費生活は、別天地であるかのように良くなった。きらびやかで広大なショッピング・センターから、都心・郊外のそこここに点在する市場いちば、小型のスーパーまで。所得水準に応じて何でも買える。スマホでタクシーを呼べば数分でやってくる。地図検索もネットでできるから、会合の場所にもすぐたどりつける。電子書籍も普及したし、寿司さえも24時間のデリバリー・サービスがある時代。

だが、国民は知っていた。これが脆い繁栄であることを。僕はある時、タクシーの運転手に聞いてみた。「プーチン大統領、すごいね。あんた、収入何倍にもなっただろう」と。すると運転手は前を向いたまま、こともなげに答える。

「まあね。でも石油の値段がこんなに上がれば、誰だってこんなことできるさ」

夕方に車輪の後ろの男
写真=iStock.com/SVPhilon
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「プーチンの繁栄」を支える柱を自ら崩した

今、プーチンは正念場にある。「プーチンの繁栄」を支えてきた柱を自ら崩したからだ。2014年3月のクリミア併合は、西側の経済制裁を呼び、それもあってロシア人の可処分所得は5年以上、概ね右肩下がりとなった。経済は停滞し、社会も沈滞する。ロシアの若者は、20年前には起業をめざす者が多かったが、その頃にはビジネス・スクールの学生でさえ大多数の者が「給料が高くてあまり働かなくてよい」国営企業への就職を希望する状況となっていた。

モスクワを歩いていると悪いことも目についた。ソ連時代からのインフラや建物のメンテナンスが悪く、ソ連崩壊後のがさがさして貧しい感じが残っている。そしてヨーロッパ風の瀟洒しょうしゃな店で買い物をしている連中と、そこで警備員をしているような人たちの間の格差がひどい。

今度のウクライナ侵攻に対する西側の制裁は本格的で、ロシアの富の根幹である原油と天然ガスの価値を奪い、ルーブルを大きく減価させただけでなく、ドルでの取り引きを禁じることで、ロシアを世界経済からほぼ切り離した。

プーチンはロシアの経済回復という自分の(石油価格の)功績を濫用し過ぎて西側の決定的反発を招き、ロシア社会をも敵に回す瀬戸際にある。