「今泣いたカラスがもう笑う」という言葉があるが、子どもを見ていると、確かに感情がコロコロとよく変化する。ただしこれは子どもに限らず、大人の感情もまた、実際には絶えず変化している。「怒った→収まった」「悲しい→泣き止んだ」といったように点在的に感情が存在するのではなく、言葉では表現できない繊細で微妙な感情も含め、感情の大きなダイナミクスが存在し、そこを漂っているようなものだ。
それはさながら、氷上を舞うフィギュアスケートの選手のようでもある。サルコウやトリプルアクセルという技はあっても、パフォーマンスは一連の滑りとして絶えず継続されていて、感情もこれと似た構造をしている。喜怒哀楽という分類は言語的便宜性からつけられたラベルに過ぎず、実際にはもっと複雑で繊細な感情が、僕たちに渦巻いているのだ。
人間の感情が多彩で豊かなのは大脳新皮質が発達しているから
そういう意味では、「嬉しい」「楽しい」といったポジティブな感情も含め、あらゆる感情の「源」は、すべて偏桃体で検知していると言える。ただしそれを実際に「嬉しい」という感情で処理するのは、やはり大脳新皮質の前頭前野だ。
感情を察知するのが偏桃体なら、それを味付けするのが前頭前野だとイメージすれば、わかりやすいだろうか。そう考えると、大脳新皮質が発達した人間の感情が、他の生物に比べて、実に多彩で豊かであることにも頷ける。
感情に左右されない脳は多彩な人生経験によって育てられる
つまり、感情のコントロールには、大脳新皮質、中でも前頭前野の機能が極めて重要となる。怒りを制御できるか、できないかも、喜びや悲しみといった感受性の豊かさも、前頭前野の発達具合によるところが大きい。
前頭前野の発達具合に関しては、その人の育った環境によって大きく左右されることが、さまざまな研究でわかっている。単純に裕福な家庭で育ったか否かではなく、いかに多くの、多彩な経験をしているかどうかだ。豊かな自然環境で育ったり、スポーツに打ち込んだり、多くの芸術作品に触れる機会に恵まれたりして育つと、怒りをはじめとするさまざまな感情をコントロールしやすくなる傾向がある。
こうした経験の豊富さは、言いかえれば、パターン学習の豊富さでもある。世の中には多様な人がいて、人生はさまざまなことが起こる。人にこういう行為をしたとき、自分はこういう気持ちになる。経験を通じてそうした事例を前頭前野に学習させておくことによって、感情に左右され過ぎない脳を育成することができる。
これは実際の経験に限らず、本や映画でもかまわない。あらゆるストーリーを内部モデルとして自分の中に蓄積させておけば、リアルの世界でそれが役立つシーンが必ずあるはずだ。本や映画、音楽を通じて芸術的な教養を身につけておくことは、感受性を高めるだけでなく、アンガーマネジメントにも大いに効果があるのだ。