ラッパーデビューを果たすもコンサル業に転身

マルチリンガルラッパーとして活動しながらも、更に本場でヒップホップを体感したいと思った秋山は、高校を卒業しニューヨークの大学に進学する。1年後に大学を中退して日本に帰ってきた秋山は、広告印刷を手掛ける小さなベンチャー企業に入社した。高性能商業プリンターを中国で作るビジョンを描いたその会社は、秋山の持つ語学力を必要とした。

「当時の中国は価格の魅力はもちろん、技術力も伸びていました。しっかりブループリントを出せば、日本と変わらないものができることも知ったことは大きな収穫でした。チャージスポットのバッテリーも中国で作っています」

印刷ベンチャーをはじめ色々な仕事を掛け持ちして生活をやりくりしていた秋山だが、25歳で自主制作のCDを発売し、ようやく音楽だけで食べていけるようになった。日本でもじわじわとファンが増え、2007年にユニバーサルレコードからメジャーデビューも果たしたが、結婚して長女が生まれたのを機に香港に帰ることを決意する。

「僕の『日華』という名前には日本と中華の架け橋になるという親の思いがこめられています。音楽で生かしたコネクションをもとに、香港で日本のサービスを誘致したら、僕の強みが活かせると思ったんです」

2012年、香港に戻った秋山は日本との橋渡しをするコンサルタントとして活躍する。大手代理店よりもフットワークが良く、良心的な価格を提示する秋山の会社は、日本企業が香港で事業展開する際の足がかりとして重宝されるようになり、名だたる大企業から仕事を受注するようになった。

中国で巨大市場となっていたバッテリーシェアリング

転機が訪れたのは2017年。数多く携わったプロジェクトのうち1社が2014年にマザーズで上場すると、秋山はその原資をもとにして次なる事業展開を狙った。その一つがモバイルバッテリーのシェアリングサービスだった。

2015年に中国でスタートしたこのビジネスは、秋山が着目した2017年時点で、数百万台を超える市場となっており、インフラ化していた。

「参入企業がどんどん増えていく様子は、まるで中国全土で行われる壮大なマーケティング実験を見ているようでした」