人間にとっては集団であることが武器

【中野】数理社会学の研究で、どうしてルールを破る人にみんながサンクション、制裁を加えるのかというのがあるんです。

罰が軽いと、ルールを破った方が見かけの利得が高くなる。そうするとみんながルールを守らなくなる可能性が出てくる。ルールを守らない方が得だったら、みんなでルールを守らないようにしようぜという圧力が出てくる。そうすると、集団が壊れる。集団である意味がなくなりますから。

でも、集団であることを重視するというのが哺乳類の特徴というか、弱い者を守るために集団である必要があるんですね。我々、強力な外骨格とかないし、逃げ足も遅い。子供を育てるのに20年近くかかっちゃう。そういう相当脆弱ぜいじゃくな構造を持っている種なので、集団であることそのものが武器なわけです。

この武器を壊してはならんということで、逸脱した個体に対してみんなでちょっとそれは困りますというふうにサンクションを加えるというのが構造としてあるんですよね。

【三浦】そういう研究があるんですね。

「オーバーサンクション」を加えている側には快感が生じる

【中野】ただ、その構造そのものがひとり歩きしてしまうことがある。

本当にルールを逸脱しているわけじゃなくて、ただその人が楽しんでいるだけに見えるとか、そういうことで攻撃を受けることがあるんです。全く何の落ち度もなく、ただ集団の中で目立っちゃったというだけで。

【三浦】ありそう。

【中野】そういう「オーバーサンクション」と言われる現象があるんですが、面白いことに、オーバーサンクションを加えている側には快感が生じているんですね。制裁というのは他者への攻撃なので、元来はリベンジのリスクがあるわけです。

でも、リベンジのリスクを怖れて制裁を加えないと集団が壊れちゃう。だからこういうときは攻撃に快感を持たされているわけなんです。この攻撃の快感をエンタメとして形にしたのが週刊誌と言っていいんじゃないですかね。

【三浦】いじめもきっと同じ構造ですよね。

人間がいる限り週刊誌的なものは消えない

【中野】そう考えると、人間社会がある限り、必ず週刊誌的なものというのは生き残ると思うんです。でも、攻撃そのものが快感というのは、そんなに美しいとは見なされない。だから週刊誌をやる人はなかなか大変だろうなあとは思う。

【三浦】女性というのは、もともと幅広くコミュニティーに関する噂話をしますよね、割と。男性も集団内の関係性に関する噂と情報の収集を通じて権力を行使しようとする。女性にしても男性にしても、我々はそういうコミュニティーの細かい情報とか、噂とかをすごく重視するというのが本能としてまずあると思うんですよ。

例えば子供の小学校でPTAに入っていれば、やっぱり観察はしますよ、どの子がしっかり髪を洗えていなさそうだとか。アザがあったりするのを見つけたら知らせますもん。児童虐待を見つけるというのはコミュニティーとしてとても大事な機能ですし、噂話が一概に悪いとは思わないんです。

【中野】そういう機能もあるか。