「殴られ、怒鳴られて強くなる」のは本当か

だが、全てのアスリートやスポーツ関係者が同じ意見を持つわけではない。今回、柔道界がジュニア層の指導見直しへ至った経緯の根本には、2010年代からたびたび報道され、問題視されてきた競技中の事故や体罰指導、ハラスメントなど、競技体質への危機感があった。

セクハラにせよパワハラにせよ、ハラスメントの問題の本質とは、自由度や選択肢の多さに傾斜のある関係性で、「持てる者」が「持たざる者」へ何らかの押し付けをすることである。

自分より年齢が上で体も大きい指導者や先輩と子どもとでは、指導のつもりのコミュニケーションでも、やり方によってはハラスメントになりうる、ということを、私たちはこの約10年間のさまざまな報道から学んできた。それは2020東京五輪を見据えた、価値観のグローバルスタンダード化と無縁ではなかっただろう。

だが、教育でも子育てでも成人してすらも、日本のあらゆる場所で、一種の成功者バイアスによる体罰容認論は根強い。スポーツ界では、その傾向は顕著だ。「自分は監督に殴られ、怒鳴られ、厳しい指導をしてもらったからプロになれた」「世界大会で優勝できた」「オリンピックに出られた」という、成功者ゆえに自らの歩みを正当化してしまう、認識の偏りである。

「勝ってきた人間」にはわからない

「勝ってきた」実績があるため、そういった人材が指導者となり、自らの輝かしい実績を根拠に自分が受けたやり方で次世代を育成してしまいがちで、そういうスパイラルを絶つことは難しい。仮に過去への反省から旧弊な指導をやめていても、例えば個人やチームが勝てなくなると、周囲から「もっと厳しくしないから勝てないんだ」「子どもは体罰を与えないと体で覚えないんだから、厳しい指導が必要なんだよ」と責める声が上がるのが実情だ。

「勝てない指導法はダメな指導」とするのは、まさにスポーツの勝利至上主義であり、勝てない者以外を認めないスポーツなのである。そういったスポーツ価値観こそが「体育嫌い」を大量に生み、人々を遠ざけていることに、「自分自身が勝ってきた人間」はなかなか気づけないし、気づいても実践できないものだ。

日本の女子バレーボール界も、オリンピック出場をピラミッドの頂点に戴く体罰主義指導の最たるものとして語られてきた。自らもその指導の下でオリンピック出場を果たした、元日本代表・益子直美氏は「監督が怒らないバレーボール大会」を小学生対象に開催し、勝利至上主義でなく楽しむスポーツで裾野を広げている。優れたアスリートが成功者バイアスから脱却するのは、画期的なことなのだ。

黒板に描かれたいろいろな「勝利」と表彰台
写真=iStock.com/takasuu
※写真はイメージです