それにしても……と私は不思議だった。どうして彼は、日本人冒険家の死亡年齢のようなマニアックな情報を知っているのだろう。日本の探検・冒険界でさえ、よほど関心のある人しかそんなことは知らないはずなのだが……。千里眼か? といささかうす気味悪くなった。
イラングアはにやにやと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ふふふ、オレはアンゲコだからね」
アンゲコとはシャーマンのことである。このひと言を聞き、私は彼がいつものように悪ふざけを言っていることがわかった。植村直己と河野兵市のことは、おそらく山崎さんにでも吹きこまれたのだろう。シオラパルクには四十年以上この地で猟師生活をいとなむ大島育雄さんと、冬の半年のあいだ、村で犬橇活動をつづける山崎哲秀さんというふたりの日本人がいて、地元民にとけこんでいる。
ただ、彼のひと言がイヌイット一流のブラックジョークであることがわかっても、私はちょっと嫌な感じがしたのだった。
「嫌な予感」その理由は…
イラングアは、植村直己と河野兵市が亡くなったのは四十二歳だと言っていたが、じつはそれはまちがいで正確には四十三歳である。そして私はすでに四十二歳になっており、四十三歳は目前、四十三歳の勢力圏に入ったも同然であり、四捨五入すれば四十三歳みたいなものであった。
たしかに四十三歳で遭難する冒険系著名人は少なくない。なぜか不思議なほどにつぎつぎとこの世を去ってゆく。
イラングアが言ったとおり、植村直己が行方不明になったのは四十三歳になった直後であり、河野兵市も四十三歳となったその約一カ月後に亡くなった。
そして、遭難したのはこのふたりにとどまらない。
ヨーロッパアルプス三大北壁冬季単独登頂で有名な長谷川恒男がパキスタンのウルタルII峰で消息をたったのも四十三歳、写真家の星野道夫がカムチャッカ半島で熊におそわれたのも四十三歳、最近でいえばカメット南東壁を初登攀し、女性として世界で初めてピオレドール賞を受賞した谷口けいも四十三歳で北海道黒岳で滑落した。