現代中国における著作権の考え方については、政府と民間企業とで重視し始めるタイミングは異なる。

政府は、1991年に著作権法を制定し、2001年と2010年に法改正した。2001年の法改正はWTO(世界貿易機構)に参加するためといわれている。

一方で、民間企業や消費者が著作権を認識するには少し時間が掛かった。大きな理由の一つに情報差があると考える。日本国外において、誰が著作者で、その権利をどこが持っていて、現在目にしているものは許諾されたものなのか、という部分を消費者が確認、認識するのは難しかったのだ。

台湾の海賊版業者が中国大陸に渡った

中国では1980年に、1963年版の白黒アニメ『鉄腕アトム』が、その後『ジャングル大帝』が手塚治虫と中国商社の尽力によって実現。1983年に中国でも地方テレビ局の開設が始まるが、地方テレビ局は開設したものの放送する番組がなく、広東省のテレビ局が香港から香港ドラマやアニメを買い付けた。この時に中国に来たのが1975年に日本で放送されたアニメ『一休さん』で、中国遼寧省の児童劇団が翻訳アフレコし、中国で非常に人気を得た。

しかし、一休さんをはじめとする日本アニメはどれも香港のテレビ会社が日本からの正式なライセンスをもって中国に販売したとは思えない。例えば『花の子ルンルン』などは台湾訛りのマンダリンでアフレコされていたと言われており、日本からではなく、台湾のテレビ局から番組を購入していた可能性を示唆している。

台湾は1998年にWTO参加のための著作権法改正を行い、台湾の出版社「東立出版社」が日本の出版社からライセンス取得を進めることにより、台湾の海賊版業者を相次いで摘発した。これにより、当時台湾で海賊版コミックや商品の業者が、改革開放により新興市場となっていた大陸に渡ったのが大陸での海賊版ビジネスの始まりだと筆者は推察する。

そういう意味では、中国の著作権侵害の発端は台湾や香港に原因があるかもしれない。

インターネットの普及で登場した「字幕組」

1992年に日本で初めてインターネットサービスプロバイダがサービスを開始するが、中国ではまだインターネットは普及しておらず、子供の頃にアニメを見て育った子供たちはアニメ・ゲーム雑誌を手に取った。これらのアニメ・ゲーム情報誌も日本のアニメ・ゲーム情報誌を丸パクリしたものが多かった。しかし日本のオリジナルの雑誌の存在を知らない中国の消費者はそういう背景を知らず消費を続けていた。

中国独自のオリジナル作品も、中国国内の海賊版に悩まされていた。例えば中国のゲーム会社が制作したPCゲームも、度々ソフトのコピーガードをクラックされ、販売されていた。この問題は後年オンラインゲーム化したことによって解決される。

やがて2000年代に入ると中国でもインターネットが普及し始め、日本でいう掲示板に近い「フォーラム」というネットで討論するサイトが数多く立ち上がる。ここで初めて各地に散らばっていた日本コンテンツファンが一堂に会すことによって、一介の消費者から同人活動を行う二次生産者になっていった。

これにより、日本のアニメの字幕をボランティアで作る「字幕組」というボランティアグループが登場。字幕組は最初、日本のアダルトゲームや恋愛アドベンチャーゲームに中国字幕を付けていた。刺激的なコンテンツが乏しい中、情緒豊かなストーリーや強いインパクトを与えるイラストがきっかけだったかもしれない。

中国最古の字幕組の一つといわれる「澄空学園字幕組」の名前の由来が、日本の恋愛アドベンチャーゲーム「Memories Off」(1999年/KID・5pb.)に登場する学校名から来ていることからも、ゲームと字幕組との関係性が伺える。