羽生結弦の“異例会見”に見るスポーツの人気商売化
さて、今回取り上げるのは男子フィギュアスケートの羽生結弦選手である。
惜しくも五輪三連覇を逃したあとの2月14日に、羽生選手は「異例」の記者会見を行った。世界中にファンがいる羽生選手の絶大なる人気を象徴し、解釈のしようによれば競技成績を度外視した人気先行ともとれるこの記者会見に、私はどうしても首を傾げざるを得なかった。
周知の通り、男子フィギュアスケートでは鍵山優真選手が2位、宇野昌磨選手が3位という成績を収めた。にもかかわらずメダルを手にした両選手の報道は限定的で、各メディアは4位に終わった羽生選手を大々的に取り上げた。結果的に鍵山、宇野両選手の活躍は、繰り返し報道される羽生選手の影に隠れてしまった。
競技成績を残した選手ではなく、負けても人気を博す選手の方を重んじる。この態度は勝敗の競い合いを原則とするスポーツでは御法度である。競争主義は、勝者がしかるべき利得を得る限りにおいて機能するわけで、賞賛するかしないかはあくまでも競技成績によらなければならない。
勝者をそっちのけにして敗者に大きくスポットライトを当てる報道に、私はプロスポーツの「人気商売」への偏向を感じたのである。
むろん人気商売そのものを否定するつもりはない。スポーツを生業とするプロである以上、人気という評価軸に添っても値踏みされるのは当然だからだ。選手としての人気が高まれば世間の注目が集まり、スポンサードを受けることもできる。この意味で人々の目を惹きつける人間的な魅力もまたプロ選手としての「実力」である。
競技成績と人気は必ずしも比例しない。なかなか勝てないながらもその人柄や競技内容からどうしても応援したくなる選手もいる。だからスポーツはおもしろい。
だが、あくまでもそれは誤差の範囲に留めておくべきである。競技成績を重視する、つまり勝者への礼讃という大前提を無視してはいけない。競技成績を等閑にした人気先行はやがてスポーツを歪め、とりわけアスリート自身に取り返しのつかないかたちで傷を負わせることになるからだ。
ファンもメディアも得をする会見の問題点
この記者会見の意味を、それぞれの立場から考えてみよう。
まず、ファンにとっては羽生選手の声を直接聞けるまたとない機会であり、歓迎される。スポンサーを含む羽生選手サイドにしても、実直でクレバーなその人柄をアピールできる絶好の場だ。国際オリンピック委員会(IOC)をはじめとする主催者側にとっても、スター選手の露出は大会や競技への注目を高めることにつながるし、メディアは購買数や視聴回数に直結する優良コンテンツをみすみす逃しはしない。
つまりこのたびの羽生選手の記者会見は、羽生選手の知名度が高まることから利を得る全方位からの後押しを受けて成立した。
ほとんど誰もが利を得る行為なのだからいいじゃないかと思われるかもしれない。だが私はここに、アスリートのアイデンティティを揺るがしかねない重大な問題が横たわっていると思う。
羽生選手本人がこの状況をどこまで自覚しているのか。それが問題である。