私の言をマハティール首相は聞き入れた。結果、マレーシアはイスラム教国では稀に見る情報検閲のない国になり、今日、小国ながらASEANの優等生として存在感を示している。

振り返ればマレーシアでの仕事は一貫して宗教との闘いだったが、その実、「宗教と闘わなかったこと」が成功の理由だったように思う。宗教的な対立というのはあくまで結果であって、人間、豊かになって生活にある程度のゆとりが出てくると信仰は希薄になり、他宗教との軋轢も減ってくる。

そもそもキリスト教であれ、イスラム教であれ、神の教えという原始的な部分ではわざわざ宗教対立を煽るような教義はない。対立の本質は教義の対立ではなく、人間の対立、つまりパワーゲームなのだ。カトリックとプロテスタントの対立にしても聖書を解釈する人間の対立であり、政治問題となったアイルランドの凄惨な宗教対立もその本質は先住者と入植者の戦いである。

日本でも戦国時代、比叡山の坊さんが武装して戦ったのは、仏教の教義と直接の関係はない。時の権力者とパワーゲームを演じたにすぎず、パワーゲームができなければ隠れキリシタンのようになるしかなかったのである。

現在でも、たとえばトルコのエルドアン首相が「(政教分離を謳う)世俗主義を捨ててイスラム主義に戻る」という趣旨の発言をしたり、イランとの関係改善に動いている。これを日本では、トルコのイスラム回帰と警戒する論調もあるが、まったくナンセンス。

国民の多くはイスラム教徒だが、近代トルコは建国の父であるアタチュルクが世俗主義を標榜して以降、政教分離の方針を貫いて民主的な政治体制を築いてきた。ではなぜエルドアン首相は今頃になってイスラム主義を持ち出してきたのか。

もともとオスマン朝やセルジューク朝など、かつてのトルコは十字軍との戦いに象徴されるように、キリスト教文明と対立するイスラム世界の右総代のような立場だった。

だが戦後のイスラエル建国以降、その役割を担ってきたのはエジプトである。アメリカに懐柔されてイスラエルの番犬になり下がりながら、表向きはアラブの盟主として君臨してきた。

しかし、そのエジプトが2011年チュニジアで起こった「ジャスミン革命」に呑み込まれて弱体化、その間隙を衝いて過去の栄光再び、トルコがアラブの盟主に返り咲こうというのがエルドアン首相の思惑である。そのために世俗主義を捨て、イスラムの看板を掲げ直したわけだ。つまり、この問題も宗教の仮面を被った中東のヘゲモニー争い、パワーゲームの一端なのである。