大阪、名古屋、新潟……「変人」トップの時代だ
2011年11月に上梓した『訣別』(朝日新聞出版)は平成維新以来、私が唱えてきた国家戦略、政策提言の集大成といえる一冊である。政界にもそれなりにインパクトがあったようで、民主党の大臣からも「あの中の1つでも2つでも実現したい。協力してくれ」と声をかけられた。
本連載でも何度か取り上げたが、日本の堅牢な中央集権制を打ち破る突破口として、独自の行政構想を打ち出している変人知事や、変人市長を活用するアイデアも『訣別』に収録されている。変人首長に権限を与えて自由な発想で都市開発や産業政策をやらせよ、という「変人特区」構想である。これにも大阪市長選で大勝したばかりの橋下徹市長から「非常に参考になる。是非実現したい」というメッセージが届いた。
中央がいかに変化を嫌うかは、都構想を掲げた橋下市長が受けた凄まじい妨害を見ればよくわかる。「大阪一つでこんなにいじめられるとは思わなかった」「中央官僚の権力に対する執着は凄まじい」などと橋下市長は言っていたが、府知事選とのダブル選挙で民意を得たのだから、大阪都に向かって具体的に動き出すことになるだろう。
ここで参考になるのが、1990年代前半の中国である。当時、改革開放路線に舵を大きく切った鄧小平は深センや珠海などの4つのエリアを改革開放区(経済特区)に指定して、中国の市場経済化の先行モデルをつくらせた。一つの国家体制に統制経済と市場経済という異なる経済制度が共存する「一国二制度」によって火種を起こし、その成功モデルが燎原の火の如く全国に広がっていき中国経済は成長軌道に乗った。
硬直化した日本の中央集権制に風穴を開けるには日本版の一国二制度が必要だと私は考えている。中央集権のままでやっていく既存部分を残しながら、一部を開放してゼロベースのトライアルをさせる。小さな成功事例を積み重ねながら、これを全国に波及させて、最終的には道州制移行という統治機構の大改革につなげていく。その先陣を大阪都に切ってもらうのだ。2012年を「日本版一国二制度元年」と位置づけるべきではないかと私は思っている。