反橋下派識者の2つのタイプとは

大阪都構想の実現と次期総選挙に向けて、大阪市の改革案および国政への構想案を精力的に打ち出している橋下徹大阪市長。そして最近の喧嘩相手は政治家や官僚にとどまらず、戦線を拡大して、“反橋下派”の識者たちをなで斬りにしている。目的実現のためには無用な敵をなるべくつくらないほうがいいのだが、改革の火種や活発な議論を絶やさないためにも、あえて攻撃的な姿勢を貫いているのかもしれない。

橋下市長と反橋下派識者のテレビ討論を見て、アメリカのシリコンバレーに在住の私の友人が、ブログで興味深い分析をしていた。彼は「橋下市長についていけない人たち」の気持ちとして、大きく2つあるというのだ。

一つは「橋下市長のやり方が嫌」という人たち。彼らは、橋下市長の政治手法が、自分たちの理解の範囲を超えているため、事態が唐突に進んでいくように感じてしまう。だから橋下市長=「独裁」として映ってしまうというものだ。もう一つは「変化の先が見えず、将来が保証されていないようで嫌」という人たちだ。このような人たちは、橋下市長が新しいことを打ち出すたびに恐怖を感じるから、「将来を担保しろ」と過剰に要求してくるのだ。

これらの人たちは、「ついていけない」という感情が先立ってしまうため、橋下市長の主張がいくら正しくても、当初からまともに耳を傾けようとしない。だから、議論が噛み合わないのだ。

橋下氏の手法についていけないなら、ついていけないで構わない、と私は思っている。民主主義国家では「ついていけない」と考える人が多ければ、多数決の論理で、「ついていけない」とみなされたリーダーは選ばれないからだ。しかし大阪では「維新」を掲げた市長と府知事が今回の選挙で選出されているのに鑑みると、大阪の有権者の多くは橋下氏に「ついていこう」としていると考えるべきである。では、反橋下派の識者たちが橋下氏に「ついていけない」と考える理由は何だろうか。

友人は「ビジネスモデルが理解できないからだ」という。友人のいう“ビジネスモデル”は、企業活動においては当然の、価値や利益を生み出すために必要な活動モデルである。具体的には、(1)顧客にフォーカスする(2)細部を詰めなくても前に進める(3)やりながら最適化していく、などだ。