なぜ「2類を5類に変える」のに、そんなに躊躇するのか
そう思っていたら、ある週刊誌で、医師の匿名座談会というのが載っていた。
その中で「2類を5類に変えろという意見があるが、そんなことをしたら、また大きな変異が起こって強毒化した時に対処できなくなる」という発言があった。
確かにそのように考える人もいるだろう。
実際のところ、ウイルスというのはオミクロンになるまでに数回の変異しかしてこなかったわけでなく、毎日のように変異を繰り返しているが、その中で主流になるほど流行したのが、これまで5つあったというだけの話だ。
そして、主流になるほど流行する条件として、より感染力が強いこともさることながら宿主を殺さないように弱毒化する必要があるというのが原則だ。
だから、ものすごく強毒になるような変異はあり得なくはないが、それが大流行することは考えにくいというのが、私と意見交換をした複数のウイルス学者の一致した意見だった。
もちろん、これは仮説であり、強毒化に備えるに越したことはないだろう。
ただ、この雑誌でコメントしている医師の発言に日本人にありがちな頭の固さを感じたのも事実だ。日本の場合、一回、変更したらもとに戻れないという感覚が強すぎる気がする。
医療とはジャンルは異なるが、JRの民営化にしても、郵政民営化にしても、それによって不都合が生じたら、いつでも国営に戻せるように最初の10年は国が全株式をもつということが法律で決められている。
いったん国営にしたが逆戻りができないというのは、単なる思い込みである。イギリスにしてもフランスにしても国営と民営をいったりきたりしている会社はいくつもある。
ダメだったら戻れるからいろいろな政策が試せるはずなのに、そう思えないから改革が進まないというところもあるのではないか?
実験というのは、うまくいかなかったら組み直すのが当たり前の態度である。
トヨタのカイゼンにしても、机の高さを10センチ高くしたほうが、生産性が上がると思って試してみたらうまくいかなかったら、再び元に戻してから、新たなカイゼンを行うという。この柔軟性があるから夥しい数のカイゼンが行えたのだろう。
感染症法の分類などと言うものは、いくらでも変えられるものだ。
より強毒なインフルエンザがくればインフルエンザでも2類や3類にできる。だから、いったん5類にして、運悪くかなり強毒な変異がおこれば速やかに(この『速やか』ができないのが日本の弱点だが)2類に戻せばいいのだ。
それをいつまでもやらないから、経済は停滞し、弱毒化した割には一人の患者さんにものすごく手がかかるから医療もひっ迫する。
少なくとも、いったん決めたことはずっと守り続けないといけないという意固地な姿勢と、逆にいったん変えたら後戻りができないと思い込む柔軟性を欠いた発想は、頭のいい人の頭を悪くするものだと知ってほしい。
読者の皆様には日常生活においても、いろいろな決まりは変えられるし、変えてうまくいかなければもとに戻せばいいという柔軟な姿勢をもつことで、昨日より今日、今日より明日に賢くなっていただけると幸いである。