「高齢者は要介護の予防のために外にでて歩いて」と安全宣言すべき

こうした見解を述べると、「高齢者の命とコロナの危険性を軽じている」といった抗議や反論を受けるに違いない。

しかし、いっぽうでコロナでなくても、風邪やインフルエンザでも、あるいは風呂場で溺死するなど事故で亡くなる高齢者も、コロナで現在亡くなっている人数ぐらいはおり、高齢者の中で、死と隣り合わせの高齢者が何十万人もいるという事実は忘れてはならない。

さらに、「コロナは怖い」という空気を作り続けて、結果的に自粛を長期間強いてしまうことで、歩けなくなる高齢者や認知機能が大幅に落ちる高齢者がやはり百万人単位でいることも事実だ。

試験管上のオミクロンバリアント
写真=iStock.com/DMEPhotography
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高齢者を大切にするという場合、どちらを取るかは真剣に考えないといけないだろう。

前々回の本欄では、コロナウイルスを感染症法の分類2類から5類への引き下げてもいいと書いた。だが、今くらいの感染力と毒性であるなら、風邪やインフルエンザと変わらず、むしろ「高齢者は要介護の予防のために外にでて歩いてください」というような、実質的な安全宣言を出すことさえ必要だと私は考えている。

でも、そうはならない。どうして日本の政治家や学者は、一度「怖い」と決めたら、イギリスのように臨機応変な対応をできないのか?

かつて近藤誠医師が、乳がん治療で乳房温存療法と旧来型の乳房を全摘する手術で5年生存率が変わらないという海外のデータを発表しても、それが標準治療(早期乳がんの場合)になるまでに15年も要している。その15年に無駄に乳房を全部摘出されたり、大胸筋まで取られて腕が上がらなくなったりした人は気の毒としか言いようがない。

また、イギリスやアメリカの大規模調査で、血糖値を正常より高めでコントロールしたほうが死亡率は低いというデータが出ても、血糖値のコントロール目標を日本で改めるのに6年もかかった。この間に血糖値を下げすぎた治療で亡くなった人が相当数いるはずだ。

というのは、アコード試験と言われる1万人規模の大規模調査では、血糖値を正常値にまで下げようとコントロールした群の死亡者のほうが、ゆるやかにコントロールする群と比べて、ずっと多かったので試験を3年半で中止しているのである。

以上のように、いくら犠牲が出ても、前と治療方針を変えようとしない医学界の体質が、そのままコロナの対処方針を変えようとしないことにつながっていると私には思えてならない。

旧来、信じられていた説に固執し、新しいデータが出ても変えようとしないことは、本連載のテーマである、頭のいい人の頭を悪くする態度というのは間違いないだろう。