「ピカソみたいな絵ですね」「ピカソですよ」

レオと婚約したばかりの美しい女性は、彼からのプレゼントだと言ってパールが三重になったチョーカーを友人にみせびらかしていた。一粒が10ミリあるのではないかと思うほど大粒だ。「日本人ならミキモト真珠が簡単に買えるんでしょう? あなたもデイヴィッドに買ってもらったら?」などととんでもないことを言う。

安売りのポリエステルのドレスとフェイクのパールネックレスでパーティに来るつもりだった私は、「着物にしなさい」と言ってくれたデイヴィッドの母親に心の中で感謝した。着物の値段は彼らにはわからないし、ジュエリーを着ける必要もないからだ。

話があわないので、トイレに立つふりをしてその場を離れて家の中を散策した。散策できるくらい大きな家なのだ。その途中、どこかで見たような絵がいくつか壁にかかっているのを見つけた。

それまでの私の人生では、こういう場合はたいてい美術館で売っているポスターだ。だが、目の前にある絵はちょっと違う。「プリントじゃなくて、本物の油絵だわ……」とじっと見つめていたら、見知らぬ若い男性が「この絵、好きですか?」と声をかけてきた。パーティの参加者なのだろう。

「これ、ピカソみたいな絵ですね」と言うと、彼は微笑んで「ピカソですよ」と言う。「じゃあ、こっちの版画は? もしかしてアンディ・ウォーホル?」と尋ねると、「ええ、ウォーホルのオリジナルです」とさらりと答えた。

本物のピカソの絵と記念撮影する筆者
本物のピカソの絵と記念撮影する筆者(出所=渡辺由佳里『アメリカはいつも夢見ている』)

珍しい体験は楽しいが、お茶漬けが恋しくなる

彼は、屋敷の持ち主の長男であり、パーティの主催者のレオだったのだ。その場に加わったデイヴィッドに紹介されてようやく気づき、赤面してしまった。彼の父親はニューヨークで有名な不動産業者であり、アートディーラーでもあるという。

カクテルアワーの後は、テーブルについて正式なディナーである。飲み物の選択は水とヴーヴ・クリコのみ。レオは、「今夜の飲み物はシャンペンしかないけれど文句は言わないように。2ケースほど用意しているから足りなくなることはないよ」と言う。

料理を運んでくるのは制服を着たプロの給仕たちだ。映画に出てくる貴族の屋敷にいる、バトラーのような人もいる。「歴史小説の世界に飛び込んだみたい!」とワクワクした。シャンペンを注がれたり、新しいお皿を目の前に並べられたことは記憶しているが、なぜかメニューについてはまったく覚えていない。あまりにも現実離れしていたからだろう。

珍しい体験だったので楽しかったが、これが毎日となると、楽しいよりも面倒だ。「こんな暮らしをしたい」とはまったく思わなかった。新年の秒読みが始まる頃には「早く東京のわが家に戻ってお茶漬け食べたい」と思っていた。