自衛隊は「戦後の知識人に叩かれる対象」だった
戦前・戦中の極端に右に振れた針は、戦後になると今度は左に大きく振れて、唯物史観が台頭してきます。私が大学生だった昭和50年代には、「知識人たるもの政治的には左派であるべきだ」という意識すらありました。当然、戦争なんていうのはもってのほかだというわけです。
たとえば、父親が自衛官だった子どもを日教組(日本教職員組合、日本の教職員の労働組合団体)に所属する教師がいじめた、なんていう話もありました。戦後に制定された日本国憲法の第9条に反するものとして、自衛隊というものは発足当初から戦後の知識人らに叩かれる対象とみなされました。
しかし、今日においては自衛隊を巡る印象は明らかに異なります。平成7(1995)年の阪神淡路大震災や平成23(2011)年の東日本大震災における救助活動や復興支援など、自衛隊の活躍は目覚ましく、広報をきちんとやってきたこともあって、一般からの人気が高い。
軍事を学問として考察することが重要ではないか
しかも、現在、米中が激突する中で、地政学的に両者の中間に位置する日本において、これまでのように米国頼みで自衛力を軽んじているわけにはいかない――といった方向性も打ち出され、集団的自衛権の一部容認なども行われたわけです。そうであるならば、自衛隊をはじめとする軍事を無闇に批判するのではなく、科学的かつ体型的に、学問として考察することが重要なのではないかと思います。そのためには、とりわけ歴史学においては、こうした軍事に対する根拠のない忌避的な態度、感情に流された嫌悪的な態度は改めなければならないでしょう。
現行の歴史学においては、軍事に関する論文を書いたとしても、査読(論文の審査)には通らないかもしれません。ほとんど中身もろくに読まれずに、軍事研究だからというだけで落とされる可能性が高いのです。